生きる力には勉強だけでなく、体力やもちろん健康といったものもあろうし、心の問題もあろう。
気持ちの持ち方次第で対処が全然違ってくるのはよくある話だ。
が、それらが理屈でわかっていたところで、急に便宜よく使えるわけでもない。
アクシデントは突然来る。
いつでも使えなきゃ意味がない。
そういうのを「心構え」と昔の人は言ったのかもしれないが、ある意味の「覚悟」でもあろう。
私に「生きる力」が足りないのは、ある意味「生きていく覚悟」が足りないということなのかもしれない。
かつての大昔なら社会も単純で、そんなに物事深く考えずとも、食うこと、着ること、眠ること、ぐらい考えていればよかったのかもしれないが、この現代社会はあまりにも複雑になりすぎて、特に都会で過ごすにゃあストレスの源が多すぎる。
残念なことに自殺してしまう人や病気になってしまう人が年々増え続けるのも、きっと「生きていく力」が枯れ果ててしまったのではないかと思う。
大昔ならそんな人間は居なかったのではなかろうか?
養老孟司先生ではないが、人間は他の動物と同じ自然の産物であり、本来は自然の中で過ごしてこそ落ち着くものなのだろう。
が、今や都会に自然はなく、人の脳みそが作り出した人工物に囲まれて過ごしているわけで、それはある意味人の脳みその中で生活しているようなものだ。
誰しもが同じ考えではないように、他人の脳みそは非常に窮屈な世界でもあるのだろう。
ゆえに、さまざまなストレスが生じるのも当然だ。
それでも私は生きていかなばならない。
ならば、ストレスなんかに負けずに生き延びるしかない。
そのために「生きる力」が必要であるならば、嫌でも身につけるしかないのだろう。
気が付けば金の有る無しに関わらず、たくましく生きていらっしゃる人は大勢居る。
皆、苦労して「生きる力」を身につけてきたのだろう。
苦労しらずの私に「生きる力」が備わっていないのは当然だ。
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