部活動

もう少し早くからお手伝いができていたら・・・

今では「昔からこうしていれば良かったのかなぁ?」なんて時々考えたりもするが、正直いくらわが娘とて幼稚園児や小学校低学年の競技を見て「真に感動する」ことは無かっただろうなぁとは思う。
別にそれが親として冷たいとは思わないが、それで面白いなら、観客も集まろうもので、そういったことが流行らないのは、やはり「内輪の楽しみ」から出ない領域で、さすがにそんな年齢ではスポーツとしてはきっと「見るに耐えない」レベルなのだろう。
いわゆる「身内だけが興奮する」レベルなのだ。ヨソ様の子であれば別かもしれないが、ウチの子はそうだったのだろう。
であれば、昔から今のような生活でなかったことに対する後悔をすることもない。
ただ、その後の展開から身勝手に言わせてもらうなら、「もう2年早くに小学校の部活動のお手伝いをし、一緒に参加してきたら」、また違っていたように思うのだが、まあ、それも「今」という結果を踏まえているから言えることであり、当時はそんな気持ちではなかったのだろう。
うん、現に2年前にお手伝いを始めていても、他のスタッフや監督さんとも仲良くできなかったかもしれないし、ましてや他のご家庭のわがまま(失礼)なお子さんのふるまいに我慢し切れなかったかもしれない。
肝心なわが子との共同戦線の前に「リタイヤ」していたかもしれない。
それぐらい、私は協調性やこらえ症がなかったし、ちょうどその2年間と手伝いだした次の一年間の計3年間に本当にいろいろなことがあり、こんな私でも多少は家庭や子供のことを省みるようになったのだから、残してきた結果が全て「最善」だったと思っていれば良いのかもしれない。

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今度は上の娘の部活動の大会

そんな折、上の娘の方の部活の大会が開かれて、どうにも仮のキャプテンになったらしく、応援に行くハメになった。
その日最後の試合はけっこう壮絶で、大差がついていたところを逆転勝ちをして次の試合につなげた。
娘の部活動の経験はいろいろと豊富な方と思うし、今までもかなり壮絶な試合を見せていただいてはいるが、「極めて」の部類に入るのだろう、皆大泣きしていた。
娘のチームは新チーム。相手はどうやら1級上のようなので、また、それも厳しかったのだろう。
こうしてみれば、自分も参加している下の娘の部活動ではないが、それはそれで、やっぱり面白い。

もともとはこんな娘の応援団のようなオヤジではなく、何が何であろうと、まずは週に一回は必ず自分の趣味に邁進していたのだが、変われば変わるものである。
自分の体力が落ちてきているというのもあるのかしら?
娘らとて、も少し大きくなると、もう応援の機会すら無くなるような気がしているのかしら?
遅まきながらもようやく自分に親という気持ちが芽生えているのかしら?

女房とけんか腰になりながらも、あれほどこだわってきた自分の楽しみの時間が今はほとんど無い。
まったく無いに近いぐらい無い。
が、決して不幸な状態ではないし、不満でもない。
むしろ充実した毎日が送れている。
それは予想しなかった人生だけに余計に不思議だ。
それを「変わった」というのだろうか?

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上の娘が妹の部活動に久々にやってきた

つまり姉の方であるが、姉は随分とレベルが高く、いわゆる半指導者として時々来てくれる。
今は自分も違う種目の部活動をしているのだが、それは小学校の時の種目の部活動が無いからであって、本当にやりたいのは小学校のときと同じ部活動ではある。
ま、それは仕方の無い環境として我慢しているのだろう。
で、ときたま現われてはお相手をしてくれるのだが、これが紅白戦ともなるとちょっと困るのだ。
つり合う相手がなかなか居ないためである。
そうなると、仲間はずれではないが、ウエイティングとなってしまう。
今回は登場した時間も遅く、見事にウエイティングになってしまった。
張り切って来てくれたことはウェアを見ればわかる。
それで「待ちぼうけ」なのだから、寂しくないはずがない。
私も相手ができるものならしてやりたいが、あいにく紅白戦の審判をしている最中だ。
できれば見学している大人が相手をしてくれると有り難いのだが、紅白戦が盛り上がっているため、皆そちらに熱中している。
正直「困った」のだが、同僚にお願いし、審判を代わってもらい、私が相手をし、上級向けの練習を開始したので、ご機嫌を取り戻したようだ。

ささいな出来事である。
しかし、なんだかちょっと未来をも予言したような出来事であった。
家庭であれ、部活動であれ、私が必要ないのなら、そのようにすればいい。
でも、必要とされる場面があるのなら、どちらも今まで同様頑張るうようにすればいいのだが、「どうしても」という場合はやはり家庭なのかな?という気はしてきた。
今まではいい。「部活動への頑張り=家庭への頑張り」だったので、大して迷うこともなかったからだ。
が、これで妹も卒業となると、やっぱりそうではないことが、ちょこっと現実として見えた瞬間であったような気もする。

姉妹ともども、今のところは中学校では他の種目に転向しても、高校ではもう一度小学校のときと同じ種目をやりたいらしく、そのためにも小学校の部活動と縁を切るわけにもいかないので、そちらも引き続き望まれればやるのだろうが、自分の子供の成長とともにスタンスは変わっていくのも自然なのかと思った。

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ふるさと

となると、私では技量のあるなしに関わらず、到底できない相談だ。
いや、そういう環境を与えてやれる監督は、かなり限定されてくる。
そんな奇特な人が居るのかどうかはわからないが、今はそんな人が登場してくれるといいなぁと感じている。

今の部活動は毎日ある。
雪の日も猛暑の日も、雨の日だってやっているときもある。
平日はおろか土日も関係ない。
だから町の人は皆知っている。
彼女らの声がグランドにあるのが「当たり前」
監督の怒鳴り声がするのが「当たり前」
そこに皆が集まる。
父兄が、OGが、懐かしそうにやってくる人々が・・・
何も用意されているわけじゃない。
でも、きっと居心地の良い場所なのだ。

だから、それが無い日はすごく寂しい。
今回の大会期間中も、わかっていながら、もぬけの殻のグランドが非常に寂しいというお言葉さえいただいた・・・

今の監督がやめてしまえば、そうなってしまうのだろうか?
それは非常に寂しい。つらいぐらいの出来事だが、仕方の無いことなのだろうか?
かといって、私も仕事をなげうってまで跡を継ぐわけにはいかんだろうし・・・・

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どっぷりつかる

毎日練習することは上達するためでもあるのだが、その部活動が生活の中心というか、全てになる期間を作るためにある。
何をさておいても部活動という理屈は話して聞かせるものではなく、習慣で植えつけるのだ。
それに勝るものはない。
家族よりも友人よりも学校生活よりも部活動なのだ。
だからこそものすごくでっかい感動を受けるときがやってくるのだ。

それがわかっている。
だから、土日だけのクラブチームには、できればなって欲しくないのである。
運動神経の良い子を集め、その競技の好きな子を集めれば、土日でも充分に強いチームはできるだろう。
でも、それは、その子たちの「全部」ではない。
やっぱり「週末」の姿なのだ。
普段は違う子なのである。

それも本当は仕方の無いことなのだ。
だからほとんどのチームがクラブチームなのである。
でも、できれば毎日、その部活動に「どっぷりと」つからせてあげたいのだ。
どっぷりだからこそ、味わう大きな感動があると思うからだ。

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現実的に考えてみても

今の私の職業では「コーチ」が精一杯である。
時間的には監督もできないわけではない。
しかし、この厳しい経済環境の今、当然ながら私の人生は仕事に左右されている。
ものすごくされていると言っても過言ではない。
サブプライム問題から原油高から、もう毎日毎日吹き飛ばされそうなところをはいつくばっているような現状なのだ。

もっと言うなら部活動がお手伝いできるほど仕事が無いのであり、逆にこれ以上仕事が無くなってしまえば、違う仕事に就かなきゃならなくなる。
そうなると、こんな高齢である。大会はおろか、毎週の土日休みだって、保障されないのだ。

私とて、今の監督のように仕事の延長で毎日部活動をみられたりするなら、追加の土日が苦痛になるような人間ではなくなった。
しかし、「できることなら」土日のクラブチームではなく、毎日毎日グランドで遊んでいる部活動であって欲しいのだ。
いや、それだから残る物があることを私は見てきたつもりである。

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私でなくてもいい

大雑把に言ってしまえば誰でもいい。
多少性格が悪くてもいい。
毎日毎日陽がが暮れるまで、土曜日も日曜日も朝から晩まで、
この小学校のグランドで頑張っている女の子がずっとずっと見られるなら、誰でもいい、つまりは私でもよければやってあげたいとは思う。

でも、私も48歳を過ぎた。
いや、今現在の監督に比べたら充分に若いが、今や全国大会でお会いするチームのほとんどの監督さんが私より「若い」
私が自分の年齢を気にしてフケこんでいるのではなく、それは子供達にとってものすごく良いことじゃないかと思うのだ。
どうせなら、若返りをはかって未来ある姿になった方がいい機会じゃないかと思うのだ。

ただ、監督に言わせると「こんなことやってくれるようなバカはそうは居らんわ」というのだけれど・・・

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出処進退は自分で決める

私のコーチ業卒業の時期は前から多少は気にかけていた。
いわゆる「出処進退は自分で決める」というやつだ。
おそらく監督が若く、あと何十年もやろうものなら、娘の卒業と同時に私も・・・というのが最適だろう。

が、本当に監督の任期はあとわずからしい・・・2年、いや最後の1年とも言われているくらいだ。
となるとそれは気心のしれた仲間で残りを全うしたいというのもまた人情である。
私が気心しれた仲間かどうかはしらないが、そのためにお声をかけていただいているのならば、期待には応えたい。

監督の任期が少ないことは大体想像のつくことだ。
それは私でなくとも皆わかる。
だからなのか、小さな妹が居たりする親御さんは、「下の子のときはよろしくお願いします」などと言ってくる人もおみえになる。
私は監督希望者でもないし、監督に向いているとも思わないので、困ってしまうのだが、ここまで盛り上がってきたこの部活の将来や、小さな予備軍の未来はやっぱり心配している。

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この3年間

この私は、いや、私の家族全員は、有り得ないほどの幸せをいただいた。
人と比べるものではないが、世界一幸せかもしれないと思うほど充実した時間をたくさんたくさん過ごせた。
変な話「これで死んでも後悔ないぐらいものすごく幸せだな」という感動や思い出をいっぱいいっぱいいただいた。
多くの人と知り合い、多くの人と触れ合い、今までの私の行き方では「有り得なかった体験や感動」をいっぱいさせていただいたので、少しだけ、少しぐらいは、私もまっとうになったような気がする。

つまりは「卒業する時期」が来たようにも思うのだ。
卒業の間際になると多くの人は「したくない」「いつまでもここに居たい」と特に居心地が良ければ良いほど思うだろう。
それぐらい充実していたら、幸せ者だ。
今の私は本当に幸せだったと感じている。
嫌なこともたくさんあったはずなのに、そんなことは全部忘れているし、幸せな場面しか思い出せない。
なので、正直これ以上は欲張りのような気がしている。
それはある意味「卒業の時期」が来たということではないのだろうか?

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器が人を育てる

ある意味ここまで出迎えの多くなる下地は作ってきたという自負はある。
雪の降る校庭で参加するメンバーがものすごく少ない状況でも私一人で指導していた日もあったからだ。

でも、それとて見方を変えるなら、自分の娘は居たからであり、完全にほかっておけなかったというのはあるだろう。
よその子だけだったら「終了」としていなかっただろうか・・・
そんなに高い意識で教育活動していたわけではないだろう・・・
他のお父さんとて、その程度・・・
いや、ことによっちゃあ「それ以上」の意識でできる人はものすごく多いのではないだろうか?

そもそも、器が人を育てるとも言うが、私などまさにそれだ。
「コーチ」などという肩書きがこそばゆくて嫌だったはずなのに、いつしか、しょっちゅうチームのことを考えるようになっていた。
今現在がそうでなくても、任せればそうなる人は少なくないようにも思う。
それが「私しかできない」と思うのであれば、それこそ大きなうぬぼれじゃないだろうか?
そういう点では正直ちょっとうぬぼれていたのだが、あの出迎えの多さを見ると、一生懸命やりそうな人は、案外多そうに思えるのだ。
そういった人たちは、いつまでも過去の栄光を背負った先輩がふんぞりかえっていると、やりにくいのではないだろうか?

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PTA役員だって資格がある

普通現役の子供の在籍しない役員は居ない。
かなり適性があり、自分の子供ではなくとも学校や父兄のことを考えてくれるなら、問題なさそうなのに、そういったPTA役員は居ない。
簡単な話「規約で資格がない」からだろう。
子供の部活動のコーチなど、そんな大それたものではないが、PTAの役員が規約になければできないことにも「意味がある」ようには思える。
やっぱり何年も同じ人が居座ることは「代わり映えしない」ことにもなる。

たまさか「内閣改造」が行われたようだが、首長やリーダーの首をすげかえるというのは、それは「全くの別モノ」になることを意味し、マンネリを防ぐ手段を超えて、いわゆる「政権打倒」を意味する。
スポーツチームで言うなら「別チーム」を作るようなものだというのは日本代表サッカーの監督人事など見てもわかる。
なのでこれが必要な場合はそのチームの存続を「賭ける」場合がほとんどだ。
でも、そこまでしなくとも「水の流れ」をよくすることぐらいは必要なんじゃないだろうか?

例えば奇遇だが、私が参加する前は、このチームとて、市の優勝が精一杯だったのだ。
それが全国大会で準優勝するまでに至ったのに、多少は私の貢献があったと言っていただけるのなら、「他の人」なら優勝させてくれたりするんじゃないの?という発想は、決して謙虚すぎないと思うのだ。

今は半分寝ぼけながらそんなことを思いついたので、ちょっと忘れないよう書き留めてみた。
もうちょっと日中だったり、週末の練習をまた見ると気持ちも変わるかもしれないが、でも、今考えていることは決して暗い進路ではないような気がしている。
いや、実はその監督とて、もう任期が数年も無いことはわかっており、「そこまで」のお付き合いを果たしたいとは思っている。いや、するだろう。
でも、それはPTA役員としてでなくともPTA役員ができるように、何か今までとは違った別の立場でできることもあるのではなかろうか?と学校に出迎える父兄の多さを見て思ったのである。

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塩加減のわかる人

こういった子供の指導は「やってみたい人」は子供に迷惑な場合が多い。
自分の子供時代を思い出してみるとわかる。
まず、「おせっかい」だからだ。
しかも「恩着せがましい」場合が多い。
いわゆる頼んでもいないのに「教えたがり」なのだ。
正直ここのクリアーは難しいと思う。
やる気の無いのも困り者だが、やる気満々のコーチも曲者だからだ。
ちょうどよい塩加減がわかっている人がいい。
が、かといって私が塩加減のわかる男でもない。
なので、まあまあでやっていけないものでもないだろう。
それほど大袈裟な活動でもないのだし・・・
でも、私もそれなりに一生懸命やって盛り上げてきた部活動なので、さらにとは言わないが、やっぱり「良い場所」ではあって欲しいのだ。
「楽しい場所」であって欲しいのだ。
そのために私が必要とあれば、今まで通りお手伝いするのだが、
果たして本当にそうなのだろうか・・・?

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潮時

今回の準優勝でもう十二分の感動をいただいた。
しかも、一家4人総出で協力してきた3年間だったので、本当に有り得ない幸せと充実した時間をたっぷりといただいた。
私自身、いや、私たち一家も「もう十分」なのではなかろうか・・・

いやいや、冷たく離れようとしているわけじゃない。
が、こういった学年ものは「次が控えている」のが当たり前で、いつまでも居座ると無理が生じる場合がある。
一応監督からは有難い言葉をいただいてはいるが、それを真に受けるのもどうなのだろうと思ってもいる。
もともとが「おだてに乗りやすい」性格であり、真意はわかっていないのかもしれない・・・

全国大会の直後には興奮して考えつかなかったが、少し落ち着いて考えてみると、なんだか「潮時」を感じないわけではない。
選手達は功績をねぎらってもらい、ちょっと余分に遊んできたので、私らより遅れて到着した。
その出迎えには大勢の人がみえたのだが、そこにはたくさんの次世代の父も居た。
彼らだって、こんな素晴らしい体験ができるなら、「したい」と思っているのではないだろうか?
当初「面倒臭い」と思っていた私が、本当にやってよかった3年間だと思うぐらいだから、もうそれに気がついている人は「やってみたい」と思っているんじゃないのだろうか?

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控えめにしていらっしゃる

このことについては正直「時期が来たのかな?」と思うことはある。
チームを支えていくことは、たしかに忙しさを超えて大変だが、やっぱり全国大会出場やそこでの勝利は格別だ。
いや、負けることさえ麻薬のように「しびれてしまうこと」も多い。
考えられないぐらいの感動を残す。
自分の娘が居なくとも、それはまた「特別」だろう。

でも、そんな体験を私以外の人がしてみるのは、とても良いことのように思うのだ。
いや、たかがコーチといえどもその適性、その能力と言っていただけるのは有難いのだが、それが自分にあると思うことすらもう「うぬぼれ」は始まっているんじゃないかという気がしてきてもいる。

私の本職が「コーチ」であり、それで飯を食っているのならもう少し図々しく居座るのも「飯のため」になろうが、所詮は「趣味の範囲」だ。
そもそも中には私の教え方が間違っていると感じている人も居るかもしれない。
私はそれなりの自負があるが、ものの見方は千差万別でそういった他人の意見も否定すべきではない。
いや、このような私個人のことよりも、むしろ思うのは、今度の新チームに参加してくるであろう「親」のことを考えると、私の身の施し方にもいろいろあるのではないか?と思うのだ。

私がお手伝いを始めたのは上の娘がチームの最上級生となった時点だ。
それまでも練習や試合を陰ながら見てはいたが、遠慮があった。
そんな心配今はよけいだったことがわかるのだが、当時はやはりあまりにも下級生の親が図々しく出しゃばったりして、まかり間違って娘がレギュラーにでもなろうものなら、落選した上級生に申し訳ないという思いがあったからだ。
そう控えている今度の最上級生の親御さんだっているかもしれない。

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卒業

だから今回の全国大会でも良い思いをさせていただいた。
大会前より強豪チームのコーチとして、十分に丁寧な扱いをしていただいた・・・
なので、優勝なんかしていたら、私自身も「もっと勘違い」していっただろうに・・・そう思う。

そんな夏はちょっと早いが終わろうとしている。
最上級生の参加できる大会はもう一つ残っているが、もう今回のようなモチベーションで戦うことはできないだろう。
それぐらい一生懸命やった。
はじめて私も選手を褒めてやりたいと思った・・・
なので、下の娘も部活動は「卒業」だ。

もちろん、引退にはまだ早く、娘や他の最上級生もお手伝いはするだろう。
が、もう試合での主役にはならない。
それぐらい楽な試合を一度ぐらいは経験させてやりたいと、それこそ親の立場では思うが、いい加減な戦い方は残された後輩たちのためにならない。
実質来週末からは「娘の居ない部活動」がスタートするわけである。

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いい気になる

土曜日曜祝日とその部活動は全部ある。
忙しいを超えて本当に大変だ。
雪の日も、雨の日にやることもあるのだから、暑い、寒いは全く関係ない。
ま、そうじゃなきゃ日本で二番にはなれっこない。

もちろん優勝すれば良かったのだろうが、それは負け惜しみでなく、ある意味二番で良かったんじゃないかと思っている。
甲子園の出場者でも思うが、特にピッチャー等の主役がワンマンのチームが優勝することはまずないが、あまりにも主役が目立ちすぎるチームが日本一になると、その主役のその後の人生は「相当大変」だと思う。
よほどの人間性が構築されていない限り、どうみても「うぬぼれて」しまうだろうし、どうみても自尊心がつき「過ぎる」。
この「過ぎる」をコントロールできる人はなかなか居ないように思うのだ。
自分自身に置き換ええると相当理解できる。
いや、対戦相手等この部活動の関係者とも多く知り合ったが、正直「優勝者」は偉そうである。
きっと謙虚にしている部分もあるのだろうが、その眼の奥底に強烈な自尊心が潜んでいることは非常に多い。
それは自尊心で済まずに「自慢」や「得意顔」になってあらわれている。
それらをおくびにも出さない人は稀なぐらいだ。

いや、正直私にもある。
春の全国大会でも当チームは好成績を収めた。
すると「その後」はやっぱり違う。
私がお手伝いし始めた当初とは、「挨拶のされ方ひとつ」も違う場合があるからだ。
それは気分の悪かろうはずがない。
春に全国大会出場したときと、今回とは、そりゃあ注目のされ方も違った・・・
もちろんわきまえる気持ちはあるし、成績のほとんどは監督や選手の力量と頑張りだとは思う。
でも、それに少し貢献しているのと、顔が売れてくると、やっぱり「自己満足」ぐらいはする・・・

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コーチ業

ときどき記述してきたが、娘の部活動の「コーチ」なんて務めさせていただいている。
監督に声をかけていただいたのと、熱心な部活動の様子に共感して「お手伝い」から始めたものだが、今では正式な「コーチ」として登録されちゃったりている。
そうなったのは、その部活動が強くなり、県大会に出場するようになってコーチにも「登録」が必要になったからだ。

かといって本職ではないのだが、あまりにも無責任ではいけないと、多少、ほんの多少はわからないことを勉強はしてきた。
その甲斐ではなかろうが、3年目のこの夏素晴らしい成績を収めることができた。
運も良かったのだろうが、上の娘のときから手伝いはじめて、市大会優勝、県大会二位、県大会一位、全国大会出場と続き、今回下の娘で全国大会準優勝までこぎつけた。

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ようやく決まった

Bukatsu01 娘たちの所属する部活動の全国大会出場県予選をようやく突破した。
まずは一安心である。
なんやかんや言ってもお手伝いもしている以上それなりの責任も感じているし、一番の気がかりでもあるので、全てがこれに左右されてしまう。
それを言い訳にするつもりはないが、ここんところ、ギックリ腰に風邪にと「酒なしではいられない」生活に戻ってしまっていた。
さらには祝勝会でまたまた大飲みだ。
ボチボチ自分のペースに戻さねばならない。
まずは一日禁酒なのだが、久々となるとこれがけっこう難しいのだ、しかも、最近暑いし・・・

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うーん、ともかく

Bu 週末は終わった。

娘たちの生育途中でお手伝い参加することになった部活動がある。ここ数年の週末はそれオンリーと言ってもいいぐらいで、仕事と合わせると「年中無休」になっている。立場的にも自分の娘を特別視はできないので、父親としての参加というより、娘を含めた子供の仲間みたいなもんだ。エエ歳こいて。

本当に手助けするぐらいなもので、さほど運動することもないのだが、たまにはともに汗を流す。所詮は子供の運動であって、しれたもんだと言いたいのだが、帰宅してみるとこれがけっこうぐったりなのだ。

歳のせいもあるのだろうが、それだけでもない。たいした運動でなくとも拘束時間が実に長いのだ。冬場でも8時間。夏場なら10時間もグランドに居たりする。運動していなくても、それだけで疲れているのかもしれない。

現代っ子である彼女らは、けっして一筋縄とはいかないし、とてもカワイイといえるシロモノではないのだが(親御さんには失礼)、それでも毎週末馴染んでくるとやっぱり愛着は沸いてくる。だから手伝う気にもなるのだが、なにしろ2日目の日曜日の晩はグロッキーとなる確率が大なのだ。

今、こうして書いているブログさえ、相当に酔っ払い、投げやりで書いている。

ま、それでも、ともかく、本日は、飲んで寝るだけ。

ともかく、それ以外は明日。

あーえらい。ともかく眠ろう。そして明日・・・・・。

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