う~ん、失敗。

2009032302 昨日はブログにて自作自演でやる気を取り戻し、八割には満たなかったものの、六割程度の仕事の消化にはこぎつけた。
で、健康維持トレーニングはスタートがいつもより1日早かったこともあり、気分転換にそちらを優先。
軽いジョグとストレッチングでサッパリ。
こうなると飲んでしまう。
ところが、飲酒途中より、子供達の通う学校での問題が次々と告げられ、その話し合いで結局12時になってしまったのだが、ずっと無意識に飲み続けていたため、またもや二日酔いになってしまった。
自分でも「アホか?」と言いたいぐらいなのだが、なってしまうとこりゃまたなかなかサクサクとは行動できない。
いやー参った参った。
本当にいろいろと考えるようになったし、少しずつ努力もできるようになってきたのだが、「酒癖」だけは治らない。
たった一つ直せば、「救済法」の何十倍の効果があるのがわかっているのに、一番大事なところを治せない。
そりゃアル中だからだろうが、いつまでそんなことを言っていてもなぁ・・・
本当にだらしない。

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やっぱり失敗

20090317 言い訳を長々と述べても仕方がないが、普段は帰宅の遅い私も仕事の流れで割と早め(それでもけっこう遅いが)に帰宅できることがある。
普段はあわてて飲むお酒も、ちょっとゆっくり飲めるのでうれしい日でもある。
昨日はまさにそんな日になってしまった。
もちろんそんなことで「決意」がゆらいではいかんのはわかっちゃあいるが、仕事もなんとか8割程度は消化でき、帰宅前には軽いジョギングとストレッチングも済ませることもできたので、「全体的に8割良し」に日に収まったと実感してしまった。
非常に自分に甘いのだろうし、だからいつまでたっても二日酔いを繰り返すのだろうが、とりあえずのリカバリーができ、台無しにしなかったことで満足したい。
ってなわけでまた飲んでしまった。
しかし、神様の罰だろうか、なんだかそれほどたくさんも飲めなくて、定量(これがけっこう多いのだが)より缶ビール1本少なく終わった。
普段だと「もう一本飲める」として、どっかで飲もうとするのだが、その一本だけはやめておいた。
ささやかな抵抗というものだろうか?

その「ささやかな抵抗」のおかげで本日の目覚めは昨日よりは良い。
よって本日は昨日よりはちと前向きに仕事に取り組めそうだ。

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ちょっと頑張ってみる

そう言いながらも夕方になるとまた「飲みたくなって」しまうのだろうし、飲まないと寝付けないということもある。
酒を飲む快楽が好きというだけではなく、味覚的にも好きなのだから、なかなか止めることもできない。
が、いろいろなことで努力をし、少しでも快適な一日を過ごそうとしているのに、未来や将来の不安に怯え、今という瞬間を過ごすことを台無しにしてはいけないということにようやく気が付いてきたのに・・・気軽な一晩の飲み過ぎで、翌日を棒に振ってしまうそのことを、いい加減やめないと。

アル中になる、いや、なっていることじゃなく、翌日を台無しにしていることを反省したいのだ。
どんなに他のことを細かいところまで頑張ろうとしても、頑張る気持ちがなくなるほど飲んでしまえば、考えていないのと同じ一日だ。
大袈裟に言えば、全ての努力を一晩の酒で自ら台無しにしているのだ。
アホみたいなもんである。

できないくせに言うのもなんだが、きっとこれ以上の努力を追加しなくとも、「酒」をやめるだけで一番の変化があるのだろう。
いや、私の場合は何よりも「酒をやめること」が一番「自分の希望」に近づく方法なのだ。
原因は簡単だった。
本当は最初からわかっていたことだけど回り道をしてきてさらに確信した。
あとは決意と行動のみなのだ。

が、あまりにも「逃げ道」が多すぎる。
だからアル中になるのだろうが、今週はもう一度酒をやめることに特化してみたい。

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酒で台無し

ということは、問題はこのブログの開設当初に戻ってしまったのだが、これまでの期間は要するに突き詰めても「酒」だったことを長々と証明しているようなものだったのだろう。
「だろう」なんていうと、まだまだ「他のせい」にしそうな姿勢だが、まあ、言い逃れできないぐらいには自覚もしてきたというところまでは来たようだ。
たしかに他にも正さないといけないところは多々あるが、自分が「前向きに生きられない」「スッキリしない一日を過ごしてしまう」「やる気が出ずに仕事や用件の消化ができない一日にしてしまう」原因のほとんどが「酒」だ。
私の場合今のところ100%と決め付けてもいいぐらいだ。
そもそもこんなくだらんことをグダグダと書き連ねていること自体無駄な時間でもある。
まあ、今日は自分を戒めるために仕方ないとするが・・・
それにしてもいい加減わからなければならない。
それは直接的な肉体の健康のためではなく、結局酒を飲んでいる時に気分がよくなりたいがために、酒を飲んでいない時を犠牲にしている「過ごし方」がもったいないということに。

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やっぱり酒

ブログを始めたきっかけも、あまりのアル中さに嫌気がさし、どうにかやめさせたい(自分に)からだったのだが、その原因を追究していく途中で「飲みたくなる自分」の中身の改善にばかり目が行くようになり、そこに追い討ちをかけるように景気の低迷が訪れて、まあそれどころじゃなくなって、
いつの間にかアルコールことについて悩んでいる暇もなくなってきていた。
が、そうやって頑張ろうとしているのに、頑張れないときは、「雨」または「飲み過ぎ」であることが案外ハッキリしてきたような気もする。
自分の内面に問題がないわけでもないが、飲みすぎでなかったり、雨でなかったりするときにはけっこう頑張れるのを見ても・・・原因は「雨」と「飲み過ぎ」であることが多い。
「雨」という無茶ぶりなせいも、結局は「飲み過ぎ+雨」ということにもなろうから、とりあえずの一番の問題は「酒」だと言い切れるだろう。
いや、視点を変えてみれば、私の生活から「酒癖」を正せば、けっこうマシなものである。
いや、せっかくマシになりかけている生活が「酒」によって台無しにされている時がものすごくある。実際ある。
ということは、私の本質的な問題は「内面」ではなく、まずは「酒」なのだ。
「内面」など、その次に考えればよいぐらい、「酒」の悪影響がものすごくある生活習慣のようだ。
ようだ、ではなく、絶対そうなのだ。

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マイナス行動

トレーニングだ、救済法だと頑張っているようなことを言ってはいるが、私にはこのマイナス行動も実に多い。
タバコは吸いすぎるほどではないが、何本も連続で吸うこともあるし、タバコを吸いたいがための休憩も少なくない。
アルコールなんて最たるもので、ほとんど毎日飲み過ぎていて、酒代も無駄なら、時間も無駄だし、何しろ健康にかなり悪いほど飲み続けている。
家族にからみはしないが、それでも話が長いと面倒くさがられる。
そして、翌日はこのようにやる気をなくしカラダもだるくて仕事が進まない。
やる気を出そうとするために、余分な努力が必要になる。
私にとってアルコールは百薬の長ではなく、百害あって一利なし、なのだ。
他の面のマイナス行動はけっこう減らしてきたと思うのだが、それを全て台無しにするぐらい酒癖が悪いのだ。

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気持ち悪い

昨晩は飲み過ぎた。
毎週末の恒例行事により土日と忙しく、おまけに女房と子供まで風邪をひいてしまい。
食事の支度やらなんやらで、食事時にはその解放感というかなんというか、飲んだくれてしまった。
翌日が月曜日の際は注意するようにしているのだが・・・もう、一旦飲んでしまえば「なんとかなるだろう・・」となるのも毎度のこと。
そして月曜日・・・

「できれば眠り続けたい状態」を「絶対に起きなきゃいけない」と自分に言い聞かせ、無理から起すにはまず成功した。
次には身支度を省略することなく行って、頭を覚まさせ、ともかく出発することにも成功したが、
全くやる気が出ない・・・というか、気持ちも悪いし、だるくて仕方がない。
以前なら、こういった日はここから半日、いやさ夕方頃まで、病人のように過ごしたものだが、仕事がたまっているのでそうもいかない。
で、途中で体操をし、なんとかもう一度気分を持ち直した。

そのおかげで会社にたどりつくまでも成功したが・・・なにしろ無理矢理していることなので、後遺症がやってきた・・・
いかん、二日酔いはよくあるのだが、これはいかん。
相当に飲んでしまったようである。

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やればできるじゃん

トレーニングはここんところ順調に消化できているものの、休肝日は減少気味だ。
先週なんざ最低ノルマの一日でさえ実行できなかった。
なので、一週間の評価をつける花丸は空白のままだった。
が、昨日は夕食がカレーということを事前にお知らせいただいたので、禁酒がスムーズにいった。
若い頃はカレーにビールも全く違和感が無いというか夏の風物詩のようなものでもあったが、さすが年を食うと、両方はえらい。
もちろん飲むには飲めるし、食べるにも食べられるのだが、ビールもたくさん飲みたい、カレーもおかわりしたい私としては、もう両立はできないのである。
数年前から違和感を感じていたが、初めてといっていいほど、ビールを絶ってのカレーとなった。
「う、う、美味い!」
予想通りであった。
そして、やっぱりお代わりした。
食後には心地よい暴満感が襲ったが、これがビールを飲んでいたりすると大変なのだ。
・・・でも、週に2回目の休肝日だからか、全然眠れなかった。
多分3時ごろまでは寝付けなかったように思う。
が、毎度言うように、それでも二日酔いより楽なのは不思議なものだ。
仕事も超はかどる。
わかっているなら毎日そうすりゃいいのに、ほとんどできないのが哀しいところなり。

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いっつも二日酔い

昨日が休肝日明けだっただけに、この違いはよくわかる。
朝からしんどい日が多いのは、体調が悪いのではなく、ほとんどが二日酔いだ。
本当にえらい。
目も開けるのが面倒臭い。
ある意味体調が悪くなくても、ここまでしんどくなるのだから、ものすごいアルコールの効力だ。
というか、効きすぎるぐらい飲んでしまっているのである。
もう、このことに関してはくどすぎるほど記述しているので、これぐらいにしよう。
しかし、本当に治らない。

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同じことを繰り返している

飲み過ぎて→体調不良になり→やる気が起きず→仕事も用事も片付かず→反省して→どうしようかと考えて→ともかく1日酒をやめてみて→なんだか少し楽になり→また飲み過ぎる
この繰り返しだ。
多少の軌道の違いはある。が、ほとんどは悲しいかな「この通り」を繰り返している。
でも、若い頃はさらにひどく「ともかく一日やめてみて」が無かったのだが、それでもけっこう体調は崩れなかった。
やっぱり年なのだろう。内臓の代謝は筋肉ほど鍛えられないだろうし、肝臓なんか鍛えるどころか明らかにくたびれている。
だから、この繰り返しをしながら、どんどんどんどんカラダがくたびれていっているように感じる。
それを危惧してこのブログを始めたのだが、たしかに休肝日のクセはついてはきたものの、正直疲れている日が多い。
トレーニングもし、休肝日もとり、疲れているのだ。
50歳も近くなるとこんなものだろうか?
飲む量とか加減しないと本当に糖尿病とか肝硬変になってしまうのだろうか?
あーだるい。酒飲むと翌朝は決まってだるい。
それが飲み過ぎとは思えないほど若い頃よりは少ない量なのだが、これでも今の年齢にしたら「飲み過ぎ」になってきたのだろうか?
控えて飲めばいいだけの話なのだが、どうもその壁を乗り越えられない。

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なんとか

とりあえずのところ、最低ノルマの週一禁酒を初日に実施。
これは随分と楽になる。
正直、あとは全部飲んでしまっても仕方ないと考えるからだ。
自分に非常に甘いのわかっているが、正直なところだから仕方がない。
しかしながら週に2回以上やめていると酒を抜くのにもカラダが慣れてくるのだが、一回ではカラダが驚いてしまうようだ。
やっぱりなかなか寝付けない。
しかも、酒を抜くと普通は「スッキリした朝」になるように思うのだが、酒が抜けて麻痺した分が無くなるのか、かえってアチコチ痛かったりする。
とりあえずは二日酔いではない、といった程度だ。
これも二日連続して抜いたりするとまた変わってくるのだから、体の中相当アルコールがたまっているというか、肝臓がいかれているというか、そういうことなのだろう。
今日もう一日、抜けるといいんだけどなぁ・・・

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ひどい二日酔い

娘の部活動の全国大会予選の前のプレッシャー。
そして全国大会出場決定の達成感。
ともに、飲む材料ではあるものの、ここんところは酒量がひどい。
ギックリ腰から多少立ち直り、トレーニングと週一の休肝日は確保しだしたものの、他の日の飲み方は「毎日へべれけ」だ。
イコール週に6日は「二日酔い」なわけである。
従って、当然体調は良くない。
こんなもの、自分が押せえりゃいいだけで、そのブレーキが全くきいていない。
もう一度タイトルを戻さねばならんのか?
本当に。
落ち込むまではいかないが、だらしない人間だとつくづく思う。
なんとかこのアル中生活から抜け出さねば。

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ちょっとシンドイ

原因は酒の飲み過ぎだ。
休肝日もとってはいるが、その分一日に飲む量が増えたのがいけない。
冬ならばもうちょっと加減もできそうだが、喉が渇く季節だからよけいに難しい。
こうなるとトレーニングや部活の手伝いも悪影響となる。
肝臓がダウンしているのに追い討ちをかけるからだ。
しかし、そんな事は言っておれない。
大事な大会がまた始まる。
今度こそ本当に大事な勝負だ。
私が出場するわけじゃないが、進行に迷惑はかけられない。
酒ぐらい自分で調節しなきゃいかん。

しかし、よく飲むようになってしまった。
平均350ml缶6本と焼酎だ。
若い人でも体に負担なのに私の歳では・・・。

トレーニングも順調だし、それほど無理なものじゃない。
睡眠とアルコールの調節で疲労はたまらないはず。
アチコチ痛かったり、動悸がちょっとしたりするのは、やっぱり変な疲れが残っているからだ。

ともかくここらで一度健康体を取り戻そう。
アル中よりも糖尿病になってしまうといけないから。

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飲んでいる場合じゃない

キリスト教やユダヤ教では「週のはじまり」は日曜日とされるらしいが、私にとってはやっぱり「月曜日」だ。
そして、その月曜日は休肝日の大事な定例日となっている。
月曜日が祝日になったりすると自信はないのだが、平日仕事日であれば、まず休肝するようにしている。
それは週末に飲み過ぎるからであって、休肝日の習慣がなかった頃でも、7日間の中では一番飲みたくなかった日であり、この日にできなきゃ無理だわ、と思ったぐらいだからだ。
で、昨日も休肝した。
週に2日も、3日もというとまだまだ大変なのだが、この月曜日というのは、かなり慣れてもきた。
たまには酒のない食事も美味いし、なにしろご飯がおいしい。
それも副産物的ではあったのだが、けっこうたのしみの一つになってきている。
ご飯がおいしいのだから、おかずなんか何でもいい。
休肝日を思いつかなかった頃は、晩飯食わずの「おかず」プラス「ビール」だったから、なおさら「ご飯」がおいしいのかもしれない。
なら、それを週に2回、3回とすれば良いだけのことだが、それがなかなかうまくいかないのだ。
ま、でも、一日が定着してきたということは二日も可能性があるということで、もうちょっと成長できるのではないだろうか?

しかしながら、最近は寝汗がひどい。
花粉症の時期はおうおうにしてそうなるのだが、それにしてもひどい。
タバコをやめるときがそうだったように禁断症状でも出ているのかしら?
でも、休肝日はあるとはいえ、残りの日に思う存分飲んでいるのだから、禁断症状は出ないと思うのだが・・・
ま、今週は大変忙しく、いろいろなことを前倒しで消化している。
なんとか順調だが、大方を水曜日までには終えないといけないので、もう一頑張り。
飲んでいる場合じゃないんだけどなぁ。

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酒量多すぎ

先週から仕事もプライベートも猛烈に忙しくなり、夜はヘロヘロで飲まずには居られなかった。
まあ、そう悪い酒ではないと思って飲んでいたので、休肝日は結局週に2日とちょっと少なめだったが、それは特段後悔するものではない。
が、飲んだ日の量はいけない。
低糖質ビールや発泡酒など工夫をこらしていることが「全く意味のない」ぐらい飲んでいる。
お医者さんの言うように、アル中は休肝日を作れても、それは飲む日への準備になっていると断定するように、毎回飲み過ぎている。
まあ、たしかに休肝日のおかげでさほど体調は悪くならないのだが、それでも、無駄な飲みというのは否定できない。
また、翌日だって半日ほどは正直調子が出ない。
こりゃいろいろともったいないわけだ。
せっかくトレーニングも順調。休肝日も定期的になってきたのに、これは残念。
暖かい季節になってきて、ビールはたしかにおいしいが、ステーキがおいしいと言って毎日ステーキを食う人がいないように、マルガリータが美味いといって毎日マルガリータを飲む人がそれほどは居ないように、どういう事情にしろこんなに飲む必要はない。
ここが、これからの改善のしどころだろう。
いわゆる「飲み方」ちゅうところです。
さ、今週も猛烈に忙しい。
なので、飲み方には要注意なのだが、とりあえず木曜日まで「ノンストップ休肝日」で行きたい。

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ビールを箱買いしなくなったのを契機に

Bf いろいろ試してみることにしました。
以前は「箱買い」だったので、どの銘柄にしろ一旦買うと24本は飲まねばならず、判断を誤ると大変でした。
別にそういった場合は1本ずつ買っても良いのですが、1本では体調その他で案外わからないのです。
で、箱買いするのですが、外すとけっこう苦痛でした。
が、今回家に酒が無くなったのを契機にいろいろ試そうという気がおきました。
日本酒もそう。自分のサイフから出ていくわけで、同じ元とはいえ、なんだか酒代はすごく高いです。
昼飯の節約なんか吹っ飛ぶのですが、もともとこうだったのでしょう。
実は好きな銘柄はエビスとスーパードライと一番搾りなのですが、この市況じゃあ贅沢といえば贅沢で、この際いろいろ試してみることにしました。

以前にもダイエットに熱心だったときは、せっかくのカロリー消費をすぐに補充できるビールは悪と、カロリーオフビールに切り替えたのですが、そのマズイことマズイこと。
一生懸命走ってこれじゃあ、ということでやがて元に戻ってしまいました。
が、おぼろげながら効果があったのか、採用させていただいた期間はなんだか太らなかった記憶があります。
で、それを思い出して、もう一度チャレンジすることにいたしました。

実は贅沢かもしれませんが、発泡酒系統は大の苦手です。
ノンアルコールビールと合わせて言うなら、お茶の方がマシです。
が、多少の休肝日が効いているのか?最近じゃあ飲みはじめのエビスも以前ほど旨くないと感じる日が実はありました。
子供の頃を思い出してみると、今や慣れてしまったビールの苦味や味はけっこうきつく、嫌な印象でした。
そう、軽いお酒とは言われていますが、淡い味では決してないように思い出しました。

ならば、今なら他のモノが旨いと感じたりして・・・ということと、箱買いしなくなったので、ビールも割高になってしまうので、その節約のためにも「発泡酒を混ぜて」というアイデアが再浮上したというわけです。
多少マズいのは我慢しましょう。
いや、その方が本数が減るかもしれません。
ちゅうか最近ビールを飲みすぎた翌日の尿がなんだか甘ったるいほうな臭いがして、ちょっと心配です。
そんなところもあって、見た目と効能書きで選んだのは
サッポロ「BEER FINE」とキリンの「ZERO」です。
ビールと発泡酒の組み合わせなので、ちょっと経済的にもダイエットです。
もちろん糖質は半分以下になります。
で、お味の方はといえば、そりゃあノーマルビールの方がうまいかもしれませんが、今や自由に飲めない身分の私にとってはもう「十分」です。
さすがに、発泡酒の「ZERO」はパッケージがおしゃれながらも、お味はイマイチ。発泡酒は発泡酒です。
が、その後に「BEER FINE」を飲むと、これがまたビールっぽいものの、ちょっとスッキリしていて(おそらくこれだけ飲んでいたらものすごく味気ないように思う)、見事なコンビネーション効果があるのです。
そんなもの突き詰めて考えたら勝敗はわかりますが、こう思えれば少しでもカラダにいいので、良いのではないでしょうか?
これで「買う」楽しみもできました。
あんまり褒めていませんが、以前のダイエットビールに比べて相当に飲めます。
とりあえず「採用」です。
あとはカラダの反応を見たいです。
というのは、贅沢なカラダなのですが、発泡酒は翌日ダメです。
これで何度も挫折しました。
が、今回は「MIX]しかもダイエット「MIX」これもまたおもしろい取り組みです。
普通のビールは?
そりゃあ外で飲むときの楽しみでいいんじゃないでしょうか?

うーん久々に画像をアップしてみたが、そうみっともなくもない。なかなか優れたビールなのかもしれない。ただ、この手のビールはすぐに発売中止になるから困るのだけど・・・。

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我が家に酒がない

家計の節約ということを先日女房と話していたらば、「どんだけ酒代がかかっているのか?知っているの?」ときた。
まあ、休肝日はあるものの、その分を他の日に飲んでいるから、たしかに一日平均5本ぐらいにはなるのだろう。
おっしゃるとおりだと思います。
で、酒は今後私が買ってくることになった。
サイフの元は一緒だが、まあ自分で買ってみれば、どれだけ金を使っているかが「ダイレクトに」わかるというご指摘だ。
残りの酒は日曜の晩に全て消費した。
だから昨晩は酒がなかった。
冷蔵庫にビールの無い生活は結婚以来、いや、生まれて以来だろう、初めてだ。
月曜日は幸いにも休肝定例日のようになっているのし、帰宅も遅かったので、さほどの混乱は無かったのだが、これからがプレッシャーだろうなぁ。
まあ、家で飲まなきゃいいし、そうしたいとも言っていたのだから、「好都合」のはずなのだが、実際そこまでの自信も無いので、なんだか大変そうだ。

そんなことを考えつつ眠りについたのだが、朝方妙な夢を見た。
投資に失敗し、事業に影響を与えている夢だ。
この類は私にとっては悪夢であり、日頃ただでさえ不安定な事業なので、夢であっても激しく動揺してしまう。
が、飲んでいなかったからだろうか?
ま、働けるうちは働いて生活していくしかないさ。ぐらい諦めモードだったのが珍しい。
「失敗」に関しては女々しいぐらい後悔する男なのだが・・・飲んでいないと多少は前向きになれるのか?

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休日 休肝日の翌日

かなり飲みすぎた。
たしか・・・ビールが7本と熱燗一合だ。
2日分である。
よくないに決まっているが、まあトレーニングも完了したし、休肝日も3日とれたのでお祝いとしておこう。
それぐらいじゃない許容量を広くしないと、私の場合は続かない。
こんな私が言うのもなんだが、実はともかく週に休肝日を4日にしたいとは思っている。
というのは、一週間は7日なので、4日取るということは自然に2日連続ができるということで、まずそれは肝臓に良い。
そして、もう一つ素人ながら思うのは、飲んだ日にはダメージを受け、飲んでない日に回復するとすれば、飲んだ日の方が少なくならないと進歩しないことになる。
であれば、理想は勝ち越しだ。
今のところそれができないのだから、それ以上は望まない。
が、それが目標でもある。
一週間4勝3敗の勝ち越しだ。
もうちょっと。もうちょっとのとこまで来ているが、これから暑い夏に向かっていくので大変だ。

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やっぱり

金曜日は送別会ということがわかっていたので、木曜日にお酒を抜いた。
これで先週に続いて週3日の休肝日を達成できた。
それはいい。が、その3日は「我慢」であって「酒を必要としない日」ではないし、むしろ「飲むための我慢」であり、それは飲める日に爆発する。という専門書の記述どおり
金曜日、土曜日は爆発した。
金曜日の飲み始めとて、仕事の延長のようなものであり、最初は慎重に飲みすぎないように始めた。
2軒目にも絶対行かないと決めていた。
が、もくろみとは裏腹に、2軒目まで貫徹し、泥酔した。帰宅経路をうっすらとは覚えているが、帰宅後にもビールを一本開けていたのは覚えていなかった。
土曜日はひどい二日酔いだった。
なので、飲まない方が良かったし、飲める状態でもなかった。
が、最近は仕事とお金に関して非常にブルーになっているので、日曜の夜は出来れば酒をやめ、月曜日の気分を少しでも軽くしたいと思っていたので、週末の連続禁酒など到底無理だと思い、無理から飲んだ。
飲めば、飲めるもので、どんどん進んだのは良いが、気が付けば金のことでヨメと口論になっていた。
ものすごく責め口調になっていたのは自分でもわかったが、日頃の悩みや不安を吐き出すことに歯止めは効かなくなっていた。
自分ではアルコールによる不安の増幅効果だとは思いたくないし、むしろ正直な気持ちだと言いたいのだが、人を傷つけるまでの言い方になるのは、むしろ私の嫌がっているオヤジとソックリだ。
飲み会での振舞いもそう。「もう飲みすぎない」と言いつつ、いったん飲みだすと調子に乗って歯止めが効かない。

新たに始まったことじゃない。
昔からこうだったのだ。
ただ、その愚行に全然気が付いていなかっただけのことであり、判明してみりゃひどいもんだ。
本当にアル中である。

たしかに、休肝日が設定できるようになったりはしている。
が、それはシラフの時であり、飲んでいる時の状況とは違う。
いったん飲んでしまったときの意志の弱さ、酒へのおぼれ方、感情の激しさはまさにアル中そのものだ。
昔に増してひどくなっているというのもある。
それは抱える責任の大きさや順調でない仕事の影響があるからだ。
でも、それとともに、ある意味酔っ払った時の自制心の無さは進行しているのかもしれない。
いや、本数とからむ回数からいえば、より頻繁になってきているからだ。

大げさに言えば、かつては毎日飲んでも楽しい酒だったのに、今はたまに飲む酒がだらしない酒になるのである。

私の今の状況はお酒を飲むにはふさわしくないのだろう。
心に悩みを抱え過ぎているのだ。
だから飲むと耐え切れず溺れてしまうのだ。

シラフに戻ると反省する。
こうして冷静にも振り返ることができる。
だから、私はアル中なんかじゃないと思ってきたのだが、よーく考えてみるとアル中はアルコールが醒めると「普通の人」だ。
飲むとおかしくなるからアル中なのだ。
が、アル中はシラフになると否定する。飲んでいない時は普通だから、普通の人が何で飲んじゃいけないんだと思うのだ。

ちょっと危険だ。
アルコールが原因でこうなったのか?仕事が原因でこうなったのか?それはわからないが、ともかく飲み過ぎてしまうことを止められないようならば、飲んではいけない状況だ。
というか、実際わかっていても飲みすぎてしまうのだから、もう止められていないのだ。
完全断酒が必要な理由がなんとなくわかってきた。
まあ、それでも今すぐ完全断酒ができるはずがないのだが、本当に生活の中からお酒をもっともっと消していかないとさらにダメ男になってしまうだろう。
まだ、暴れていないだけいいが、口数だけならこの二日間大暴れしている。
それも酒乱だ。

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念仏を唱えるように

だから、本日は絶対やめなければならないのだが、それほどあせってもいけないとは思っている。
週2日の休肝日に移ってきたのもまだ一月前だ。
その中で偶然週に3日休肝日が取れたというだけのことであり、意識して3日取れたというような週は無い。
ましてや正月なんか休肝日も忘れて飲み続けていたのであって、それはまだわずか2ヶ月前のことなのだ。
今は確実に週2日の休肝日が定着することが大切で、3日にした反動が出ないようにも気を使わなくてはと思うのだ。

それは自分の事だからよくわかるのだ。
月曜日の禁酒はさほどでもないが、連続して禁酒すると、やっぱり「飲みたい気持ち」は募ってくるのである。
それを「完全断酒しないと」治らないというのであろうが、とりあえず一日も出来なかったことが二日出来るようになったのであり、さらに長くするのは不可能ではないと思うからだ。

3、4年前は本当に一日も酒を抜くことができなかった。
今や当たり前の月曜日禁酒なのだが、この一日が何十年と取れなかったのである。
年に数回酒をやめる日が無かったわけじゃないが、それはひどい風邪を引いて飲めなかっただけのことである。
その何十年とできなかったことをようやく実現し、週に二回とは言え「倍」にしようとしているのだから、それはあせっちゃあいけないと思うのだ。

それでも、二日続けてやめたにしては、飲みたい欲求も以前ほどではなかった。
結局飲んでしまった私が言うのもなんだが、以前なら酔いつぶれるほど飲みたかったはずだが、これでも飲んでいる最中にちょっと調整した。
まず2本目のビールは一旦冷蔵庫から出したものの、もう一度戻した。
私は料理を食べながら飲むと、もう水代わりに飲んでしまうのだが、それが「いけない」「もったいない」と考えようと、ちょっと控えてみたのだ。
本来食べ終わるまで我慢すれば良いのだが、それはやっぱり二日続けて禁酒しているから出来なかった。
熱燗もちょっと控えて0.8合程度にした。わずかな努力だが、何度も言うようにしないよりいい。
その後ビールを1本追加。
ここでやめたら立派だったが、結局飲み足らず風呂上りに1本追加した。
その追加分は今思い出そうとしても、そうれほどおいしいといった印象は残っていない。
いわゆる「余分」だったようだ。
都合ビール4本に熱燗0.8合。私の平均値より0.2合分だけ控えている。
あんまり誉められた数値ではないが、マイナス分があっただけ良しとしたい。

で、朝はどうかというと、やっぱりスッキリしないのだが、それはここ数日共通しており、どうやら軽く風邪を引いているのかもしれない。
ま、それを差し引いてもやっぱり飲んでいない方がマシといえば、マシだが、飲んでしまった本日も以前よりはマシである。
が、やはり「前の日飲んだ」という負担は明らかに感じられ、量を意識し始めてからの自分なりの見当で言うなら、やっぱり一日ビール3本までではないだろうか?という気がする。
それでも多いと人は言うだろうが、この前までは6本。最近でも4本と熱燗一合なのだから、進歩は進歩なのだ。
いや、休肝日よりもこちらの方が今現在は難しい。
缶ビール3本で終わらせたことなんかない。
まあ、週末まで努力できるような気力がないので、来週の週中飲む際には、新たな規定量にチャレンジしたい。

甘いかもしれないが、飲む機会、飲む際であっても、酒は毎晩欲するものではない。酒は無くてはならないものではない。酒は決していいものではない。
飲むことはけっして格好の良いことではない。間違ってもはじめに酒ありきではない。と念仏のように言い聞かせ、ボチボチ精進していきたい。

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無理を溜め込んでもいけないので

昨晩は飲んだ。
その前2日連続で禁酒しているので、以前なら「当然だ」と誇れたのだが、いろいろな文献やブログを拝見し、「その考え自体が甘すぎる」ことが多少はわかった。
なので、「当然」と思うこと自体がアル依存症の証と認識し、その感覚を捨てようと努力しているのである。これでも。
奇しくも私のブログにある「はじめに酒ありき」はアル依存症の特徴であった。
もちろんそんなことを予習したわけではないが、自らのことだけによーくわかっていたということだろう。
いや、自分はアル中でないか?と思い始めてから、気付き始めていたのだが、アル中は遺伝する、というか、「”酒を良し”という環境が続けば、自然とアル中になる。」という憶測は見事に当たっていた。
私は典型的なA・C(アダルト・チルドレン)ということらしい。
アルコール依存症からアダルト・チルドレンまでを検索するのには時間はかからなかった。
医学的見地では「共存用語」だったからだ。
私の若い頃にはモラトリアム人間なる精神科の用語が流行ったが、こちらの方がうんと私に適切だ。
ちゅうか、私そのものだ。
医学的に言えば、私の精神を健全に保つためには、アダルト・チルドレンからの解放、すなわち、アルコールを断ち切ること、が絶対条件のようである。
ものすごくうなずける。

が、何度も言うように人にはタイプがあると思っている。
タバコのヤメ方ひとつにしてもそう。ニコレットが必要な方もいれば、そうでもない方もいる。
急いでいいことと悪いことがある。
専門家でもないのに、生意気なことを言わせてもらうなら、禁煙とダイエットを経験して、長きにわたって何度も努力を繰り返した禁煙の方が結局身についたのに対して、急いで成果を上げたダイエットは瞬く間に元に戻ったように、人に合うやり方というものがあるように思う。
私の場合今は「断酒はできない」と確信しているのだ。
じゃ、飲み放題でいいか?といえばそうではない。
なら少しでも減らすことは決して悪いことではない。
だから、それをやろうとしているのであり、断酒でなければアル依存症からは脱出できないとしても、アル依存症で飲み放題でカラダを悪くするより、控えめに飲むアル依存症の方が良いではないか?というものである。
そもそも、どっかのマラソンランナーじゃないが、1時間しか続けて走る練習をしたことがない者が2時間は普通走れないのであって、私は普通なので、「いきなり」はできないと考えるのだ。
アル依存症でいいとはいわないが、急は無理ということである。

で、昨晩は飲んだのだが、理由は簡単。
さほど飲酒欲は強くなかったものの、水曜日は子供の習い事もなく、家族団らんが取れるということ(最近はけっこう少ないから)。
そして週の中日だから割と仕事から早く帰れるということ。
もう一つ、正直に三日も続けて我慢をすると、その翌日から大爆発してしまうからだ。

ストレスという言葉は使いたくないが、やはりそれがあるのだろうか?
ただ飲みたいという気持ちを「三日もオレはやめたのだから少々飲み過ぎてもいいだろう」と軽くオーバーしそうなのだ。
これが文頭にある「当然だ」につながるのだが、いわゆる、三日努力したことで、より強く「はじめに酒ありき」に戻ってしまい、冷静でなくなるだろうと予感したのである。
これは今までにも数少ないが、連続禁酒をした後に間違いなく起こる現象(欲求)だったので、忘れていない限り自覚している。
それでは「三日の努力」も逆効果。まさに専門家の言う「完全断酒以外に道はない」とされる行為だ。
なので、飲みたい、飲んでもいい、タイミングで飲んでおいた方が良いかな?というのが昨晩だったわけである。

ちなみに私の今週の予定は、
(木)何もなし、子供達は習い事。
(金)知り合いの送別会。
(土)地元でのバザーのお手伝いと部活の手伝い。
(日)部活の手伝い。
となっている。金、土、は間違いなく飲む。日も毎回やめると言いながら結局やめれない。
となれば、やめるチャンスは(木)しかない。
が、(水)にやめれば、残りは大飲み。しかも4連チャン。
なら、水に飲んで、依存症を忘れないよう週末に向かった方が良かないか?と考えたわけである。

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アルコール依存症

今日はちょっと時間があったので、前から興味のあったアルコール依存症について、ちょっとネットで探ってみた。
いろいろな自己診断問題があったが、どれをやってみても私は「完璧な依存症」と出る。
わかってもいたから別に驚かないが、今度は断酒経験者の皆様方の日記なんかを見ると、量はともかく症状は私よりうんとひどいように思うのはまだまだ私の自覚が甘いからだろうか?

とりわけ目を引いたのが、「アルコール依存症は完全断酒しか完治の道はなく、一年二年程度やめたところで、飲み始まれば元に戻る」というところであった。
つまり、私のやっている休肝日など絆創膏にもならないわけだ。
かといってやらないよりやった方が良いわけで、無意味だとは自分でも思わないのだが、それほどに深刻なのだろうか?
毎日の飲酒や適量を超えて飲みたがる人など私のまわりにはワンサカと居る。
でも、皆肝臓が悪かったり、家庭を壊しているようには見えないのだが、ゆくゆくはそうなるのだろうか?

アルコール依存症が単に食生活の問題ではなく、精神病であること、脳の病であることは、理解できたのだが、本当に断酒が必要なのだろうか?
正直そこのところが私はまだ甘いのだろうが、納得はしてはいない。
というのも、私の知り合いに休肝日を設けることからはじめ、別に一端飲んでしまったからもうダメだということもなく、その休肝日が増えていって、今や飲む日の方が少なくなった方もおられるからだ。
言い方を変えれば、症状と自覚次第じゃあ、完全断酒まで及ばなくても、アルコール依存症からは脱却できるのではないだろうか?

そもそもスーパーだってコンビニだって大量の酒が売っているわけで、じゃあ購入者は皆アルコール依存症か?といえばそうじゃない。
じゃあ、皆節度を守って飲める「アルコール機会飲酒者(そう言うらしい)」かといえば、そんなはずはないように思える。

まあ、言い訳ばかりを探すのがアルコール依存症の特徴でもあるらしいのだが、今の日本の社会制度の中で「一口も飲まない」ということは非常に難しいことであるようにも思えるのだが、いかがなものだろうか?

私の休肝日設定についても「飲む日のための休肝日」。
つまり「休肝日を設定したがために、飲める日にはさらに飲んでしまう。」ということがすでに今までの研究でバレバレだったのだが、じゃあそれをコントロールできるようにして、しかも休肝日も増やして、それでなおストレスがなければ、
断酒でなくとも依存症から機会飲酒者への道は残されているのではないか?
とともかく相当に厳しい道であることはよくわかったのだが、まだまだ甘いことを考えてしまうのである。

ともかく今日は調子が悪い。
風邪なのか?ひょっとして禁断症状なのか?

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禁酒もトレーニングも順調だが・・・

今週は火曜日から天気が崩れるという予報だったので、トレーニングの順を入れ替え、少し詰めて実施している。
その分ちょっと疲労がたまっているのか?今朝は2日も連続で休肝した割には体調がおかしい。
軽い「寒気」と「頭痛」と「腰が痛む」。
と思っていたらば、少しのども痛いので風邪だろう。
前後はするのだが、「娘の部活のお手伝い」「禁煙」「休肝日」を始めてから、そう風邪を引かないようになったと嫁に言われた。
たしかにそうだ。少なくとも仕事も、部活も休んだことがない。
ちゅうことは年中休みがないわけで、そりゃあたまには疲れるというものだ。
でも、全体としては健康的になっているのだろう。それは素直に嬉しいことだ。
ま、酒を必要としない生活に向けて、徐々に経験を積み重ねているのだが、今週はこの風邪のせいだったのか?休肝日の翌朝のさわやかさがない。
頭がボンヤリしている。
ちょうど禁煙を始めた頃によく似ており、私は思ったより強く出たほうだったので、ひょっとしたらアルコールの禁断症状かも?とも思うのだが、
いかがなものか?

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毎月曜日

休肝日のストレスか?毎週末がこのところ寒過ぎるのか?
週末の晩酌は酷すぎるほど飲んでしまう。
1日あたり熱燗1合に缶ビール8本X2ということになる。
なので、多少肝臓が立ち直ったとはいえ、月曜の朝は非常にグロッキーとなる。
正直休肝日の意味がない。
かといって休肝日をやめてしまえばもっとひどいことになるので、もう少し量を控えることも考えねばならないのだろう。

さて、今週も始まった。
こんなカンジなので、毎度のように気の重い立ち上がりだ。
ま、なんとか仕事を消化しつつ、少しずつエンジンをかけていかねばなるまい。
今週はまだマシな方だが、憂鬱な月曜日はいつ頃からだろうか?
気のせいか?海に行くことから離れてからのような気もする。
かといってこの寒いのに海に行く気になんかれないのだが、よく聞く「働き盛りの鬱」なのだろうか?
それにしちゃあ、ちょと遅いようにも思う。
なんてったって昔なら初老と言われるような年齢になってきたからだ。(昔は炭鉱夫など55歳が定年だったとも聞く)。

ま、それでもトレーニングはまずまず消化できているし、休肝日も頑張れているし、気分はすぐれないままでも、なんとか一つずつ片付けていけば、一週間は過ぎる。
今はその程度の気力しか出ないのだが、人生そんな時期もあるのだろう。

先日コメントをいただいた件だが、私の目指したいのもそこである。
休肝日ではなく、「今日は飲む日」と言いたいのだ。
ただ、まだまだ恐ろしいほどほど遠い。

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三日連続に挑戦したが・・・

あえなく惨敗。
どのあたりで負けが決まったかといえば、帰路の水切れか?
いや、帰宅してからも頑張れないこともなかったのだが、「おでん」に負けてしまったか?
水曜日は家族が揃って夕食を食べられるので、やはり盛り上がる。
「おでん」と「それ」のせいにしておこう。
しかし、飲み過ぎた。
熱燗一合とビール6本はいただけない。
そのせいだけではないだろうが、朝が非常につらかった。
罰として、今日は飲まない。
そうすれば、連続三日は達成できなくても、週に三日と一歩前進できる。
今日は飲まない。
意識して今日は飲まない。
さ、できるでしょうか?

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連続二日禁酒

これで今週のノルマは守れた。
まずは一安心といったところだ。
が、今週は早々と達成できたこともあり、ぜひとももう一日は増やしたい。
というのも、やっぱり禁酒できた翌朝は寝不足であっても飲酒した翌朝よりは快適であり、それほどやる気というわけでもないのだが、仕事も進むし、気がまわる。
一言で言えば、悪いことは一つもないからだ。
わかっていたことではあるが、そういうことをあえて意識して禁酒し、確認してみると、今まで以上によくわかる。
早い話、朝だけのことに限って言うなら、「前日に飲む必要がない」ぐらいなのだ。

今朝だって寝起きは悪かった。
が、飲んでいたらもっと悪かっただろう。
でも、一時間もするなら深呼吸をすると気持ちよいまでに回復する。
飲めば少なくとも午前中は調子が悪い。
ひどい場合は夕方まで調子が悪いことに比べたら、時間だって相当にもったいない。
「飲んでいないと」朝や仕事の最中はよいことばかりだ。

じゃあ、飲んでいる最中は?と思い起こしてみると・・・
少なくとも飲んでやれるような仕事は朦朧としていて覚えていないし、家族と過ごしていたって、はしゃいでいるようだが、記憶に残っていることはあまりない。
家で飲んでいて良いことってあるのだろうか?
冬に熱燗をコタツで飲み、湯豆腐に舌鼓をうってテレビを見るのは私の楽しみでもあるのだが、それで何か記憶に残ったり、感動したり、思い出があるわけではない。
ただ、その時はなんだかうれしく思うのだが、そのうれしい記憶すら翌朝は憶えていないというのが本当だ。
それこそ、自分では良い飲み方とは思っていないが、先日の昼のように、熱燗がノドに染み入る飲み方だってあると思うと、なんだか準備万端な割りにはおいしくいただいているというわけではない。
が、これなどまだマシな方で5本、6本、7本・・・と増えていくビールを飲んでいる時なんざ、何も憶えていないし、おそらく相当くどいのだと思う。
それは、多分おいしさなど感じていないだろうし、家族もきっといい迷惑になっているだろう。
そして、眠たいのか眠たくないのかもわからず、酔っ払って寝てしまう。
人の話なんか聞けたものじゃない。
自分の内なる感情を吐き出すだけで、それがストレスの発散といえば聞こえは良いが、ストレスの原因の解決には何の役にも立たない。
いや、むしろ遠のいている。
こうして考えてみると「朝の気持ち悪さや憂鬱さ」を除いたとしても、快適なはずの飲んでいる最中の夜にさえ良い点などひとつもない。

それが今日ちょこっとわかったような気がする。
別に夜にまで仕事をしたり、用事を済ませようとは思わないが、少なくとも夜には夜でカラダも内臓も休ませることができるなら、次の日に片付けられることは一つぐらいは増えそうなのだ。

タバコもやめてもうすぐ2年になる。
やめるまでには5年ほどかかったし、やめた当初はやっぱり時々吸いたくなった。
いや、今でも吸いたいような気持ちがふっとよぎることがあり、吸ってしまったりするのだが、それがものすごく気持ち悪く、人の煙さえも服につくだけで嫌になることが多い。
2年もたてば随分と変わるのだ。

ひょっとしたら酒だってそうなのかもしれない。
いろんな歴史と因果でここまで「大事なもの」としてきたが、何のことはない「必要のないもの」なのかもしれないし、私にとっては「ない方がいいものかもしれない」
それでも、酒もタバコもやめて健全に生きる自信など無いのだが、もう少し「酒の無い時間」が自分の人生に多くあってもいいとは思えてきている。

付き合いというものもあるし、仕事や男の付き合いに「酒」の無い席はまずない。
また、それをわざわざ省くというのも、極端すぎるようにも思う。
また、そういった席こそ、思わぬ本音が聞かれたり、打ち解けあえることもあったりして、そんな酒は悪い効果ばかりでもない。
いや、それが唯一酒の「メリット」だとするならば、
「お祝いの席」や「出会いの席」そして「再会の席」で飲むべきものであろう特別なものであるはずだ。
となると、牛乳のように毎日習慣化して飲むべきものではないという理屈も成立するように思われる。

お祝いでもないのに、一人家庭で飲む酒は「虚しい」
さらに、一人で酔っ払ってくだをまくのも「虚しい」
家族は寝るまでみんな頑張っているのに、自分だけ意識を失って朦朧とするのは「虚しい」
それでも、ストレスが発散でき、次の日「スッキリする」なら別だが、余計にブルーになるなら、一体何のために飲んでいるのか?
毎日毎日念仏のようにそう唱えてみたらどうだろう?
それは事実なんだし、

となると、家で飲む酒は特別な日以外は飲まんでもいい。
付き合いのためというなら、基本的には自宅で飲むのではなく、飲みに出かけるものなのかもしれない。
飲みにでかけるのもであるなら、家にはなくてよい。
きっと家作りも違っていたことだろう。
飲める場所、タバコを吸える場所を意識して確保した。
たまたま「子供の遊び場」もこさえていたからよいが、飲める場所、タバコを吸える場所を考えていなかったらもう少し違ったレイアウトになっていたことだろう。

一人で、自宅では、
飲む必要なし。飲む意味もなし。何も憶えていないだけ。次の日えらいだけ。次の日臭いだけ。脳が弱るだけ。内臓が腐るだけ。
飲む前に必ず唱えて、晩飯を食う前に水やお茶をたらふく飲んで、即座にご飯をくらい満腹になれば、けっこうの飲まずに済んでしまわないか?
少なくとも昨日はそれを試して見事に成功した。
そうやって試行錯誤していくうちに、タバコのようになるのではないか?と期待している。

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恒例の休肝日

これでも月曜の休肝日は2006年からボチボチと始めているので、かなり習慣化されていている。
今年に入っては正月以来ずっと続いてもいる。
始めた頃は「飲みたい」のはもちろん「眠れない」「落ち着かない」で相当苦痛だったのだが、最近は他の日の「飲み疲れ」もあるのか?
案外スムーズに出来る。
酒の無い夕食や酒の入っていない入浴や酒の入っていない就寝が心地よいと感じる時すらある。
そう思うと脱出できないわけじゃないと思うのだが、ここからがそうは簡単じゃないのだろう。
話を元に戻すが、月曜の禁酒がちょっと楽しみになってきたのは今年に入ってからだ。
月曜日に限っては飲んでいない方がスッキリと眠れるからだ。
昨晩もそう。9時半には寝てしまった。
月曜日はストレッチングをやる日だというせいもあろうが、この快適な眠りというのが月曜の禁酒に一役買っているのは間違いない。
また、タバコをやめてからも2年ぐらいになろうか?最近はタバコのニオイすらダメになってきている。
なので、以前よりニオイにも敏感だ。
毎日、タバコと酒のニオイをつけて眠っていたことを思うと、たまには「石鹸の香り」で眠りたいと思うようになっているのかもしれない。

ところが他の日はどうかというと、不思議なことにそうはいかない。
なんだか寝付けなかったりする。
それほど「飲みたい」わけでもないのに、「つい飲んでしまう」。
翌朝不快になるのはわかっているのに「飲んでしまう」。
そして一旦飲み始めると案の定翌日不快になるまで「飲んでしまう」。
そして、翌朝は非常に不快になる。

どれぐらい不快なのか計ったこともなかったのだが、飲むつもりのなかった昨日の朝と本日の朝を冷静に比べるとよくわかる。
第一に「起きたくない」、そして第二に「仕事に行きたくない」となる。
もちろん、それでも仕方がないので出かけているが、なんでこんなに不愉快な思いをしているのか?と言えば仕事で苦労しているからではない。
違いは「前の日に飲んだ」ことであり、原因は他の誰でもない私にあることがよくわかる。

もちろん仕事とて楽しくはないが、不思議と飲んでいない朝は我慢ができるというか多少は冷静だ。
アル中の症状が見事に出ているのかもしれない。

こうして理屈っぽく考えるのも少しは役に立っているのか?月曜日だけだった休肝日は、ここ4週は週に2度できている。
が、正直これらの2回目は月曜に比べると全然楽勝ではない。けっこう無理矢理であり、自分自身でも情けないが、毎週できるかどうかはわからない。
でも、月曜が軽くなってきているので、他の日も、もう一日も可能性がないとはいえないと思うので、こんなブログを始めてみたりもしているのだ。

この快適な朝にはいつも「毎日、いや、少なくとも仕事のある前日だけでも」酒が抜けるといいなぁと思うのだが、夜になると「飲んでしまう」のだ。
前はそれほどこだわらなかったのに、朝は「飲んでいない朝」のがいいのがわかってきたのである。
つまり、飲んでいない朝をとるか?飲みたい夜をとるか?
そんな新たな葛藤が生まれてきている。

もちろん「飲んでいない朝」を取るようにしていきたいのだが、どこまで行けるのだろう?
取り合えず今週も一日禁酒した。
一日ができるなら・・二日も三日も・・・と思うのだけど・・・

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飲みまくり

まあ計画通り休肝日を消化できていることにも安心しているのか?週末は思いっきり飲んでいる。
それでも週に2回はやめるのだからという開き直りのような安堵感がそれを後押ししている。
その事に異論はないが、翌日の出勤の際の目覚めはやっぱり飲んだら悪い。
不思議なことに相当飲んでも休日の目覚めは悪くないのだから、精神的なものだと思うが、なら、余計に出勤前日の飲酒はいいとは言えないのだろう。
はっきり言ってブルーなだけでなく、目覚め時に悪い白昼夢のようなものを見たりもする。
不安と夢と精神状態が入り混じって、妄想のような夢のような想像にふけっているとでも言おうか?
あんまり良くない状態だ。
これがアル中の症状と言われるなら、毎度言うようにやっぱりアル中だ。
アルコール摂取の量がもっと多かった若い頃にもきっとあったのだろうが、幸いにも世の中がもうちょっと明るかったのか?私が何も気がついていなかったのか?もう少しノー天気に過ごしていたからこういった症状は少なかったように思う。
が、今はあるのだから、前の話をしても仕方がない。
休肝日を二日取ってもあるのだから、さらなる対策が必要だということだ。
年齢や肝臓の状態だけでなく、私の置かれている社会環境や精神状態が飲酒にはふさわしくないのだろう。
そんな折、休日、昼間から珍しく熱燗を飲む機会があった。
おそらく長い飲酒暦でも初めてではないだろうか?
正直ものすごくおいしかった。
「ハラに染み入る」とはまさにこのことで、こうやってお酒は飲むものか?と思ったりした。
日頃の私の飲み方はだだくさだ。
昼から飲むことを罵倒していた私だが、むしろ夜でも酔っ払ってしまってだらしなく飲む方がうんと問題なのだろう。
すぐには治せないが、こうやって考えてみると、私の飲酒癖は本当にいけない。
ヨメさんや子供らは当然だが、他人様にも迷惑をかけていなければいいのだが・・・

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飲んだ飲んだ

昨日はPCを5台もメンテしたので、耐久性に乏しい私の脳はストレスを貯めに貯めた。
体力を消耗するよりこんな日は「ものすごく飲みたくなる」のであって、しかも昨日は禁酒。そして、翌日は休みとなれば、少々遅かろうとなんだろうとしっかり飲みたくなる。
いや、やめるという手も思いついたのだが、そうなると土、日で飲んでしまい。「仕事の前日は飲まない」にまた出遅れることになる。
よって、そこへの可能性を残して昨日は飲んだ。
しかし、この季節ついに来ました花粉症が。飲みすぎると朝からくしゃみの連続です。

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ともかくやめた

ちょっと飲みたくなってきたので、まずは帰宅までに、飲める水を飲み、帰宅するやいなやでうがい、手洗いをすませ、即座にお茶を一杯。
そして食事。ここで少々飲みたい欲求は収まるが、ダメ押しで、食事後は牛乳に柿ピー。その後はお茶に漬物。バレンタインなので、もらい物のケーキとチョコを少し。
こうして完璧に飲みたい欲求は封じ込めた。
が、その後突如オークションを思い出し。2時間ほど参加。
どうやら冷えてしまったようで全然眠れず。今朝は鼻水ダーダー。
飲酒だけでなく体調を大切にしないといけない。
ま、とりあえずは「酒いらずの晩」達成。

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さあ、いよいよ帰宅です。

今日は今のところ飲まないつもりですが、大丈夫でしょうか?
自信はあまりありません。
ただ、今週はまだ一度しか休肝日を作っていないことと、明日は週休前日できっと羽根を伸ばしてしまうので、今日より無理だと思え、
仕方なしの本日です。

が、誓いをたてたわけではありませんが、たかだか一日をやめられないようでは、絶対にアル中から抜け出せることはないでしょう。
おっと、こうして酒にまつわる文章を書いているだけで、もう飲みたくなってきました。
先ほどまで平気だったのに、困った体質です。

が、なんとか今日は頑張ります。
「はじめに酒ありき」だから、酒を飲むのが当然で、飲まない日は「休む」という感覚をまずは変えていかなければなりません。
そう、酒は当たり前には存在しないのですから、「普通通り今日も飲まない」のです。
その感覚を徐々に徐々に浸透させていかねばなりません。
今のところなんとか週に二日は休肝日ができていますが、それは「休んでいる」のであって、特別な日です。
それじゃあだめです。
毎日「飲まない」のが普通にしなければなりません。
例え結果として週に二日しかやめられなかったとしても、基本的に酒は飲まない。という習慣にしていかなければなりません。
そして、さらに言えば、飲んだとしても、できるだけ少量。
しかも「おいしく飲める量を工夫する」よう努めなければなりません。
オカズやご飯だって、おいしく食べられるよう工夫するのですから、当たり前です。
アホみたいに飯をバカ食いしてもおいしくないのと同じだとどうして今まで思わなかったのでしょう。
おいしくいただける量を楽しめるようにしなければなりません。
おっと、もはや「飲む方」に移動しています。
今日は飲みません。
いや、毎日「飲まずにすむ」工夫をして、ちょうど良いぐらいです。
さ、今日も飲まずに飯食って寝よ。

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タイトル変更

脱出願望日記なるタイトルからこのブログを始めてみましたが、何から変えていきたいのか?何から脱出しようとしているのか?
何に原因があるのか?当初はあまり絞りきれていなかったのだが、さすがに一ヶ月も経つと少しは見えてきたようだ。
私は現代で言う「アルコール依存症」つまりは「アル中患者」であったのだ。
理屈ではもうかなり前からわかっていた。頭の中では認識もしていた。
が、こんなこと認めたいと思う人が居るわけでもないように、私も認めたくはなかった。
でも、それが事実であることをブログを始めて書き連ねて、ようやく認めつつあるということだ。
だからブログを始めた恩恵に早くも授かっているのかもしれない。
が、本当の恩恵は私がアルコール依存症から脱出できたときに受けられることであり、まだ何にも喜ぶべき段階にはない。
そして、これから素人療法で治していこうと思っている。
これには色々と調べると「反対」の意見が圧倒的だ。
大勢は「断酒」であり、即座に「完全実行」である。
まるで拷問のようだが、それぐらいの覚悟がなければ、廃人であるアルコール依存症を救うことはできないというものだ。
たしかに一理あるかもしれない。
でも、私は健康状況こそ良くはないが、まだまだ理性もあるつもりだし、仕事もサボっちゃいない。週末も自分のことより家庭のことに忙しい。
それほどぐうたらにはなっていない。
いや、むしろ、それであっても、まだまだ不快な部分を消去しようとしてブログを始めたのだ。
だから、強制的に断罪される程度まではいっていないと思うのだが・・・・・

数年前にダイエットもした、その時は75kgから3ヶ月で63kgに落とした。
でも、反動ですぐに70kgになった。
強硬手段が万能ではないと体験している。
禁煙とてそうだ。
もう20年も前から考えてはいたが、本格的に考えるようになって5年。あれやりこれやり投げやりになりつつ、おととしようやくやめた。
変な言い方だが、「タバコをやめること」をあきらめなかったからやめられたように思う。
おそらくお酒もそうなのだ。
違うという人も居るかもしれないが、タバコをやめるときも、専門家にも相談せず、ニコレットも用いず、自分の気持ちと生活習慣の工夫だけでやめれたのである。
それに5年もかかったのだが、5年かけたというつもりもない、5年前からうっすら意識していたことが、偶然重なって実現できたというようなものだ。
お酒は違うと言い切れるようには私には思えない。
タバコのように携帯もできなければ、昼間っから飲むわけにもいかず、すでにそこに習慣化されていない部分がある。
だから、お酒だけが難しいのではないと思う。
ただ、気がついてみてビックリだったのだが、私の生活は
「はじめに酒ありき」だったのである。
ほとんどのことがそこに関連しているほど、酒に関連していたのだ。
だから、そのものの考え方を変えると、随分と違ってくるのではないだろうか?
いや、強制的に酒を抜くことよりも、むしろ私にとってはその方が、遠回りでも「治していく」近道になるのではないだろうか?
そう思い、また、今現在私が抱える悩みの多くは、私が「酒さえ」控えることで、多くが解決するのではないか?と改めて思い。
開始早々ではあるが、タイトルを改名することにした。

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はじめに酒ありきからの脱出

昨日もいろいろな情報を見て、私が完全なアルコール依存症であることは「よーくわかった」。
そして、それを治すには「断酒」つまり、禁酒や節酒ではなく、完全に酒を断たなくてはならないこともよくわかる。
禁煙だって節煙では収まらず、結局完全禁煙で成しえた実績もあるからよくわかるのだ。
が、正直そこまでは無理なのだ。
甘いと言われるだろうし、「アルコール依存症の治し方」のページによく書かれているように、それじゃあ結局「人生の破滅」になるのかもしれないが、
この前までは一日もできなかったことを急に全日と言われても、できるようには思えないのだ。
となれば、まずはやっぱり一日ずつ増やすしかないと、どうしても私は思ってしまうのだ。
甘いのは承知の上、それでもできないかもしれないとしか今現在は思うのだ。
でも、とりあえずのところは正月以来の休肝日を週一から週二に増やして3週連続で達せいしており、それは事実だから否定されることでもない。
「いきなり」は無理としながらも、一歩ずつは進んでいる証拠と言いたいところである。
いやさ、「完全断酒でないと無理」という流れに逆らっているかもしれないが、今のところは、一日も休肝日のなかった生活から進歩させているのもまた事実なのだ。

なので、私にとってはこの方法も今のところ間違いではないと思いたい。
というか、完全断酒を想像できない以上、違った方法の努力もあると思うのだ。
正直仕事の付き合いや友人との付き合いで飲む席はある。
前にも肝機能を取り戻すために「3週間の禁酒」を命ぜられたことがあるが、その「飲み会」で果たせなかった。
これも私の現実の生活である。
今週の初めだってそう。「こうなりゃ断酒か?」と気持ち悪い翌朝には思い立っても、もう酒の醒めた夕方には気が変わっているぐらいだ。
できる努力からで良いではないか?何もしないよりは。
週に一度が二度の休肝日に、そしてやがて三度の休肝日に、無理なくいけるのが、一番良いのではないか?と私は思いたい。
人は人、自分は自分のやり方。
以前より、肝臓のために一度三週間の断酒を実行したいと思ってはいるのだが、三日もできない人が言うには早すぎるということではないか?
まずは三日、そして四日、次に五日、その延長に3週間があるのではないか?
で、実際に三週間できるようになった日に、肝機能は元に戻るのであれば、決して早くはないものの、無限に「出来ないまま」よりいいではないか?
と考えたわけである。

そして昨日週の初めからの流れを受けて「二日連続の休肝日」といきたかったところだが、結局飲んだ。
仕事が遅くなって飲みたい欲求が高まってしまったし、飲むにふさわしいオカズだったからだ。
そして飲んだ。
これは、今までとなんら変わらない流れであり、思考である。
おとといやめた日に頑張れただけで、飲む日は今までの自分と全く一緒なわけである。
ただ、昨日はアルコール依存症について調べたばかりでもあり、週初めから反省していることもあって、飲み始めてからちょっと考えてみた。
せっかく飲める日なのだが・・・ちょっと量ぐらい調整してみようか?
いやさ、「せっかく飲める?」なぜにそこまで酒を飲むことを重宝せなかんのか?
そうか!私の生活はまだまだ「はじめに酒ありき」なのだ。
私の意識は「はじめに酒ありき」なのだ。
習慣病を治すのである。そこを治していかないことには、どんなやり方でも治していくことはできないのだろう。
そして、珍しく飲んでる最中に、体調が悪いわけではないのに、量の調節を考えた。
熱燗が1合なのだが、0.5合ずつ沸かした。
ちょっと面倒臭いが、それなら醒めてもおらずおいしくもいただける。
二度沸かしても量は一合だ。
ビールは3本飲んでしまった。ので、もう一本空けようとしたところでブレーキをかけた。
「ここでやめ。」
休肝日の作れる私でも、これは珍しいことだ。
そして昨日は熱燗一合とビール3本で終了した。

で、今朝の気分だが、正直いつもの晩酌のときよりは、だいぶマシな朝だ。
「飲んだな。」という感触はハッキリとあるが、気持ち悪いというほどでもない。が、スッキリでもない。
まだ、多いのだろう。
これもまた、いっきに一本なんてできないだろうが、熱燗0.5合x2とビール2本が冬の定番。
夏ならば缶ビール3本までをリミットとできれば、決して少ない量でもないだろう。
もちろん今現在からはほど遠いが、食事との組み合わせ方だ。
つまり、「はじめに酒ありき」で飲むと、メシ前に一本、のどが渇いていたらば「もう一本」、そして、おかずを食いながら「もう一本」、そこらでオカズを変えて熱燗1合、
されに仕上げにもう一本。ここまでは定番。あとは雰囲気で泥酔するまで・・・となるのだが、詳しく分析すれば「酒」として味わっている部分は案外少ない。
これじゃお酒も可愛そうって、また「はじめに酒ありき思想」が出ちゃったが、もう少しお酒として味わう飲み方があるってものだろう。
最初の一本はまあよい。そしたら次はオカズに応じて「熱燗」かビールだ。これがメインディッシュのお酒と言ってもいいだろう。
そして、仕上げに一本。これは飲まずに、風呂上りに一本。でも良い。
そうすりゃ、一日3本。熱燗1合ならビールは2本。
に収まりはしないだろうか?
休肝日だけでなく、飲酒量もじんわりじんわりいきたいものだ。
合言葉は「はじめに酒ありき」の生活から脱出しよう。だ。
つまり「酒の存在をもっと意識しない生活」にしていかなければならない。

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はじめに酒ありき②

もともとが常時大瓶2ケース置いてあるような家である。そこにこのような環境が整えば、毎晩酒盛りである。
若い頃で体力もあったので、そりゃあもう楽しいには楽しい。

飲み会、外食、晩餐、バーベキュー、いつも行事は酒ありき、食事も酒ありき、
だから、おにぎり、お弁当なんてのは最低で、興味も持てない。

自分じゃそうは思っていなかったから恐ろしいのだが、常に「酒ありき」の思考であり、アル中になるのは当たり前だろう。
そう、だから一人でも酒が必要となり、一人酒も深酒となり、「毎日酔いつぶれる習慣」は完成した。

それでも酒を抜くことがなかったのは、類稀な内臓のせいであり、入院こそしなかったが、通院で大体の症状は治した。
それが、余計に「酒をやめる」という機会を逃し、結局毎日酔いつぶれるまま、年月を重ねた。

こうなるともうアル中なので、症状も典型的になってきた。
仕事のトラブルがあると飲む。ストレスがたまると飲む。揉め事があると飲む。うれしいことがあると飲む。人と会うと飲む。悲しいことがあると飲む。
どんな時に飲まないんだといっても、飲まないときはない。
そして、結婚した。

この飲酒癖に女房が驚いたのは今更言う必要もない。
だから、大酒飲みは治らないままではあるが、量は少しずつ減っていった。
でも、毎日飲んだし、飲みたいので飲み会も頻繁だった。

転機は訪れた。道交法の改正は私にとっては良かった。
罰金30万円。
そりゃもう飲めないということだ。
就職をし、定着をした居酒屋への訪問が、20年越に私の生活から減っていった。

それはそれで苦しかった。
なので、余計に家で「居酒屋」のように飲んだ。
いや、定着した居酒屋生活を再現するように、自分でおかずまでこさえて、居酒屋ライフを求めた。
まあ、外で泥酔する日が家でも泥酔する日になっただけで、これで、結局「毎日家で泥酔する」習慣になった。
場所は違えど、法律さえ乗り越えて、「はじめに酒ありき」の生活が見直されることはなかった。
つまりは、完全なるアルコール依存症になっているにもかかわらず、全く気がついていない状態で毎日過ごしていたわけで、酒を飲んでいるときは良いが、そうでないときはなんだか、
わからないが、不愉快な日が増えてきた・・・
つまりはアルコール依存症が進行してきたのだが、そこでもまだ気がつかず・・・
「はじめに酒ありき」
だったわけである。

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はじめに酒ありき①

酒を控えなければ・・・と思うようになり、逆に「なぜ飲むことが習慣になったのか?」ちょっと考えてみた。
そんなことを考えている暇があったら、仕事なり、なんなり消化すればよいものを無駄な時間を割いてと思われるだろうが、このブログでも書いてきたように、私の場合冷静に振り返ってみれば、多くの失敗が酒のせいによるものである。
つまりは酒さえ飲まなければ、もうちょっと違った生活になる。
ならば、何よりも優先して酒のことを考えるのも決して間違った順序ではないだろうと、考えることにした。

その前に、私の症状は一体どれぐらいのものなのか?少し調べてみることにした。
まあ、調べるまでもないことは認識してはいたが、専門家はどう見るのだろうと、探ってみた。
今はネットがあるのでいろいろと便利だ。

結果は予想通り
完璧なるアルコール依存症であった。
文句のつけどころがないというか、スキがないぐらいというか、格好の良さげな名称であるが、要は「アル中」である。
そしてマメ知識として、量でもない、休肝日でもない、時間でもない。
要は「飲みだしたら酔うまで飲みたい人」だというのも確認できた。
だから、完全なのだ。

年齢は明かせないが、飲みだしたのは早い。
早いし、けっこう頻繁ではあったが、金が続くとも思えないので、常用性があったとも思われない。
酒を買う金が手元に定着してきた頃からしか、毎日飲みたくても飲めなかったはずだ。
となると大学生だ。

もうはるか昔であんまり憶えていないが、波乗りをやっていたこともあり、当時の波乗り文化は今ほどスポーティではなく、もう少し毎日パーティー気分のお祭り模様だったため、何かにつけ飲んでいたようには思う。
あっ、でも最初の師匠は全くの下戸だったので、その人と二人きりのときは飲まなかったのだから、毎日ではなかったはずだ。
となると、もう少したって弟たちが高校を卒業して参加してきた頃からだろう。
つまりは仲間とでも、家族でも、いつでもどこでも酒の飲める相手が出来上がった頃であり、「夜は誰かと飲んでいられる」環境はその当時に手に入ったとみるべきだ。

夜?だけではない。
波乗りといえば、夏、夏のビーチで飲むビールはまた格別。
ってなわけで頻繁に飲む機会があり、それに遠慮することもなかったのだろう。

しかし、なにせ学生であり、バイトで稼ごうが金にも限度がある。
さらに思い出したが、合宿授業なんかもあって、そんな時は当然飲めなかったが、苦痛もなかったので、アル中にはまだなっていなかったのだろう。

そして就職した。
さらにさらに思い出してきた。
就職して一番最初の苦痛は「飲み会」の誘いであった。
おそらく、歓送迎会であろうが、ともかく飲み会の多い職場で、「青年部」「課目部」「年次部」と、まあ歓送迎会だけでもいくつもあったからだ。
そして、何でか知らないけど、同窓会も一年目からあった。
最初は、それらの飲み会が「苦痛」であったのだから、さほど毎日飲みたいということはなかったのだろう。
いや、新人の頃から徹夜の作業となったのだが、その途中でも酒が出たが、眠りたいのが優先して飲みたいどころではなかった。
で、一年過ごして2年目・・・
もう一度同じ繰り返しをすることになるのだが・・・
そういや、飲み会も苦痛でなくなったし、いや、職場の人とも少しは仲良くなったので、飲み会は余計に増えた。
また、波乗りの仲間との交流もあり、そこでも飲んだ。
春になると徹夜の作業があったのだが、それ飲んでできるようになっていた。
そう、飲み会がブッキングするぐらいになっていたのだ。
ちゅうことは、つまり毎日欠かさず飲むようになったのは、どうもその頃だ。

飲み会の多い職場であったのはたしかだ。
日頃から積み立てをして、飲み会を開くような公式行事が月に一度はある。
三ヶ月でいうなら6度はある。
それ以外の仲間との非公式な飲み会も週に一度ぐらいある。
さらに、初対面での顔合わせ行事も飲むので、まあ、一年目でも週に一度は必ず飲み会があるといってもよかった。
それが二年目、三年目となると、役職の幅の広がりとともに、どんどん増え、
結局、週に2回は飲み会があるご身分となる。
それらは、職場の仲間との「飲み会」なので、そうそう楽しいばかりでもない。
つまりは楽しい酒も飲みたくなるわけで、それは同等に、仕事に関係しない友人らと週に2回は飲む。
残りの3回は「一人でビデオでも見ながら静かに飲みたい」となっていった。

こうして考えてみると、アル中となったのは就職してからだ。
当時は気がつかなかったが、仕事からの逃避やストレスの解放もあったのだろう。
就職したといってもまだまだ幼稚で青春気取りもあったのだろう、友達関係のグチや相談も酒のオカズになっていた。
また、そういった職場だったので・・・
「ま、飲んで忘れましょう。」
「まずは飲んでから・・・」
「飲まずには居れんでしょう・・・」
といった輩が異常に多いというか、全員がそんな雰囲気でもあった。
今なら「飲んでばかりで仕事ができると思うのか!」ってのが普通だと思われるが、どうもその辺の認識が甘い職場だったのかもしれない。
よって、自分自身にも甘い私は、「酒に甘い職場+酒に甘い自分=アル中でも許される環境」にどっぷりはまり込み、
「はじめに酒ありき」の思考がどんどんどんどん成熟されていったのだと思う。
まさに、その通りで、そういや就職して、仕事に慣れてきてからというもの、仕事でもプライベートでも、
人と話すということは、まずは「飲める場所探し」から始めていたはずだ。
アル中はこの頃から始まっていたのだ。

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やっぱり休肝日の翌朝は悪くない

他人の本当の姿まではわからないけど、私の見る限りでは、皆様お酒は好きではあれど、案外節度ある飲み方をされるというか、カラダを壊すような飲み方はしていないのだろうと思います。
調子の悪い時はぱっとやめられるみたいです。

私の場合小さい頃からの家庭環境もあって、「晩飯には飲むもの」というのが定着しすぎていて、一般世間とはズレているのかな?と最近思えてきています。
お酒は飲めても、普段何もないときは飲まない人がけっこう居るのにビックリするぐらいです。
コミュニケーションツールというか、人との楽しみの道具のように飲まれる方です。
せめてそうなりたいなぁと最近思っております。

たしかに休肝日は作ることができるようになりましたが、毎週ちょっと回復する分余計に飲んでしまうようになりました。
結局、飲んだらキリがないのは変わっていないわけです。
最初は休肝日を作っただけ偉いと自分でも思っていましたが、まさに人は人。休肝日以外の自分の飲みっぷりを反省すれば、仮にカラダが丈夫であっても、飲んだら止まらなくなるだらしない性格、飲んではいけない類の人なのかな?と思えてきています。
また、カラダも肝臓など蓄積疲労がありありとうかがえて、1日の休肝日では戻ってきていないと感じます。

タバコをやめて早くも酒かという思いもありますが、私の場合は人よりこれまでに飲みすぎてしまって、もう耐えられないところが出てきているのかもしれません。
お約束はできませんが、もっと酒量を減らし、もっと飲む日を減らす。
それが、気持ち良く飲める秘訣かと考えるようにしたいです。

まあ、仕事を含め悩みも問題も山積みですが、これは一人でもできることであり、これができないようでは何もできないだろうと自分に言い聞かせながら進めていきたいです。
ともかく昨晩はやめました。
休肝日にも少し慣れてきています。

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反対の予想は当たった

めちゃめちゃブルーな週明けだ。
昨日の禁酒の挑戦は無理とわかっていても、結局水、木、金、土、日、月と6連続で飲んでしまった。

過ぎたことは仕方ないにしても、本当に気分の悪い週明けだ。
仕事に煮詰まっていることもある。
が、それだけではない。
寝起きから白昼夢?逃避?意欲減退?・・・
ついうっかりの娘の部活の手伝いの時のシューズを履いて出かけようとしたりした。

ある意味これで休日に過ごしている娘の部活の手伝いがなくなったら俺はどうなるのだろうか?
それを生きがいにしてきたつもりはないが、命にさえかかわる生きがいになっているとしたら大丈夫なのだろうか?

これは大袈裟な話でなく、非常に深刻な朝だ。
こんな朝を迎える予感はあったものの、それは飲酒のせいだけではない、(と思いたい)ことなどもあって、できるだけ目をそらしていた。
が、正直この毎週月曜朝のブルーさはどんどんひどくなっている。

やっぱり飲酒のせいだと思えるのは、酒が醒めてくると多少気が軽くなってくることが多いからで、それも確かなものじゃないが、酒との因果関係は大きいのだろう。
のだろう・・・ではなくて、他のことは自分で治せないが、酒を飲まないことぐらいは自分の意志でなんとでもなる。
つまり、それすらできないといういことは、何にもできないわけである。

もうやめたい。
の段階はすでに過ぎ、もうやめなくては・・・になっていると思う。
人前では頑張ったような顔をしているが、一人で居るときは案外廃人だ。

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三連休はしっかり飲んだ。

「仕事の前日には一人では飲まない。」(飲み会は仕方がない)
をいよいよ実践できるかどうかだ。
まずは初日。今晩我慢できるぐらいは昨日までに飲んだのだが、さてさてどうなることやら。

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飲んでいる途中だが・・・

少しは考えている。

仕事や趣味や年齢や家庭や全てのことを除外して、
ただ、「酒と健康」を考えても「飲みすぎた」3日間は終わろうとしている。
普段なら2日間だが、3連休なので3日間なのだ。
いや、正直に言うまでもなく、普段は「金」「土」「日」と飲むのであって、今週も我慢しなければ明日も飲んで、
4日間となるだけのことである。
妙な話だが、それを食い止めるために、今、一本空けた。
酔っ払っているからある意味正直なのだが、
仕事のこと、将来のこと、楽しみなこと・・・
そりゃ、よーわからん、ちゅーの。
ただ、昼間は格好ええこと言っとって、夜は酔っ払ってどーでもよくなったこんなカンジのオレが7日のうちの5日だということだ。
ということは、ほとんどそういう日であって、
「今日のお父さんは酔っ払っていた」ではなく、「今日は珍しく飲んでいなかった」となるわけである。
そのせいだ。
腹もはっきりと膨れてきたし、毎日だるい。
現状からの脱却をめざし、いろいろな能書きをたれてきているものの、結局は酒におぼれている。
問題はそこだというのはもう、はっきりしているわけで、
たしかに酒をやめたから仕事が好転するわけでもないが、仕事がダメになっても酒さえおぼれていなければ、違った展開があると確信できるのに、
それを実行できない。
ま、それがアル中ということなのだが、それにしてもアル中。
もう、いい加減それが許される「甘えた生活」から脱却しなきゃいかんのか?
いやさ、もうそんな生活は続けられんのさ。というところまで来ているのに、いまだ無駄な抵抗しているという毎日なのか?
今日はもういい。
明日だ、明日。
「仕事の前は飲まない」
いや。ひいては、特別な日にしか飲まない。
そんな人間になれるかどうかは、まずは「仕事の前には飲まない」からだと思うのだが、誰にも約束できない。
要はそこに意思の弱さがあるように思う。

まあ、ともかく週に一日の「休肝日」がここんところ週に2日となっているのだから、それを3日にするのが最優先だが、
いろいろなことが「つながって」おり、私の努力ではまだまだ甘いということになる。
つまりは、さらなる健康的な生き方をもう一度構築せねばならんということだ。

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また飲んだ。

今週は2回やめているとはいえ、おとといは8本以上か?そして昨日も6本と熱燗だ。
飲まない日を作っているからアル中をカモフラージュできているようなもので、飲んでいるサマと量は立派なアル中だ。
結局このブログを始めても大しては変わっていない。
それでもって今朝は飲み過ぎで気持ち悪く目覚めてしまって、酩酊状態のためか、半眠想像悪夢みたいなものまで見てしまい。
心臓はあぶるわ、なんか胸は痛むわ、気持ち悪いわ、仕事に行きたくないわ、で最悪の朝となってしまった。
とりあえず休むわけにも行かないので出発したが、本当に情けない。
いつも言うように飲んだら正体の出る典型的なアル中だ。

やっぱり酒なんだと思う。いろいろな原因は。
自分にとってストレス発散の場所だと勝手に思っているだけで、実はストレスの原因を作り出しているのが、絶対にこの飲酒癖だ。
酒さえなければ、いや飲み方さえ違っていれば、絶対にいろいろなことが違っていた。
いや、これからだって違ってくる。

現に飲んでいない朝はやっぱり快適だということが本日はよくわかった。
でも、治らない。でも、治せない。
それがアル中ということだ。

まあ、悪いことばかりを考えていても仕方がない。
ともかくこれで3週は2日以上の休肝日を続けられている。
それを救いとしよう。

が、将来的には「少なくとも」仕事の前日は「飲まない」。
量の調節のできないアル中だからこそ、目標はそこにしか無いように思えてきている。
いつの日だろうか?そうなれるのは。

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記憶がない

仕事はまずまず頑張るが、日々の楽しみは釣り、波乗り、そして晩酌。
趣味や遊びが生活の中心。
まるで学生の延長のような人生を送ってきた。
まあ、それを後悔したところで今までの日々は戻って来ないのだが、そんな毎日にも違和感を感じるようになってきた。
あこがれる光景はリフトの上でのタバコの一服や海から上がってきたときのやっぱり一服とビール。
常夏リゾートの光景だった。

こんな歳じゃあもう似合わないのだが、それよりも体質が合わなくなってきているようだ。
なので、タバコをやめたのだが、どうやらお酒にも無理が出てきたようだ。

2日やめたので、昨日は飲んだ。
どれだけ飲んだかは憶えていないが、やめた分だけ元気だったので、飲めるだけ飲んだのだろう、缶が7,8本ぐらい転がっているような気がした。
そして、熱燗も飲んでいる。

3本目ぐらいまでは覚えているが、4本目ぐらいからは憶えていない。
TVドラマを見ていたが、それのエンディングも憶えていない。
何のために見ていたのかさえわからない。
一緒に居たはずだが家族の就寝も知らない。
完全な酔っ払いだ。

が、こんな日は最近めずらしくない。
飲み会にしてもそう。
途中から憶えていないことがほとんどだし、どうやって帰ってきたのかも憶えていないことが多い。
わけもわからないのに嫁さんとケンカしていることもある。
真の酔っ払いである。
いや、症状だけ見れば、いくら休肝日を作ったとしても「アルコール中毒」である。

だからこのブログを始めたのだが、
昨日の飲みっぷりというか酔いっぷりを見ても、もうダメなんだと思う。
飲むことではない、違う楽しみや違う晩の過ごし方を本当に考えないと。

ともかく今日はやめる。

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2日連続休肝日

二日連続で酒をやめた。
本当は飲みたかったのだが、夫婦ゲンカのために飲むスキマがなくなってしまった。
この歳の夫婦喧嘩は人生やお金がかかっているので、全然かわいらしくない。
今で言う「必死」な感じだ。
ただ、今までならこんな時必ず飲んだ。
飲まなきゃ寝られないし・・・
が、飲まずに寝た。ハラたって興奮しているので、決して冷静にいろいろ考えたわけじゃないが、
こんな夜中に飲んだら明日仕事に行くのがやになるだろな?と思っただけだ。
そんなに仕事に行きたいわけじゃないが、少しの責任感は残っているのか?

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一日ぐらいじゃわからないのだろうが

この6日の間に4日お酒をやめた。その分中2日は暴飲してしまったが、それをのぞけば本当に珍しいことである。
かといって生活の違いは大して無い。まあ、朝はスッキリとはしているが、だからといって特別やることが増えるわけじゃない。
むしろ飲んだ翌日とてやることはやらなきゃならないわけで、気持ち悪くてもどうにかやっているということなのだろう。

最近はお酒をやめたからといって眠れないことは少なくなっている。
寒いせいや花粉症の薬のせいもあろうが、多少は禁酒になれてきているのかもしれない。
なんだかビールも値上げされるそうなのだが、私の今までの平均的酒量からすると一日1200円といったところだ。
タバコどころじゃない。
しかも30日やめていなかったので、月36000円の出費であり、女房が怒るのも無理はない。
でも、本当にやめられなかった。
特に暑い夏など、もう帰り道から飲みたくなっていた。
これがどうしてだかわからないが、今にして思うとそれだけ飲んでも実生活で大したデメリットもなかったのかもしれない。
それだけカラダも若かかったのだろう。
同じように生活を続けてはきたのだが、それが、今はいろいろと無理になってきているんじゃないだろうか?
そう、歳を取ったのである。
これでも、かつての量と比べたら、少しは減らしているし、休肝日をとっているというのに、「もう少し減らしたい」というのは、精神的なメッセージだけでなく、カラダの方からの信号かもしれない。

ま、ともかくこうしてやめた翌朝というのは、特別なほどではないが、飲んだ翌朝よりは、なんだかスッキリしている。
悪いもんじゃない。
これからどんな人生になっていくのかわからないが、毎日今のままの酒量じゃあ、「呑んだくれ」である。
自分自身はそうは思っていなくとも、そう思われるにふさわしい量だ。

今まで、本当に今までは、酒を抜いた人生をあまり考えたことがない。
バリ島に波乗りに出かけても、地元ビールと地元タバコが楽しみだったり、スキーに出かけりゃ出かけたで、風呂上りのビールも目的だったり、常に酒の楽しみも平行していたのだが、
そういうことも、もう、翌日の快適さの方を優先させる時が来ているのかもしれない。

それほどの飲み過ぎだと自分では思っていないが、肝機能全部「×」、糖尿病系統全部「×」の検診が示す通り、医学的にはハッキリとした飲み過ぎなのを認めるときが来ているのだろう。
さもないと、自分の目標である60歳定年まで働くことは、ひょっとしたらできないカラダなのかもしれない。
まあ、できる限りやめることと、お酒の代わりの楽しみを見つけることだろう。

何をするにせよ。どんな目標をたてるにせよ、簡単なことなのに、何十年とやめられなかったこのフシダラな生活を改められないことには何も変わらんということだ。

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こんな夜も珍しい

日曜日は当たり前だが月曜日の前で、子供たちも私も嫁も、明日から始まる新たな週に備えて大慌てであると同時に、週末が週末でないというか、
子供たちの部活動やなんやらに振り回されてヘトヘトになってしまっているので、ここ3年ほどは記憶できないほどグッタリで終わっている。
昨日は土曜日だが、やっぱりそうで、料理は作ったものの大飲みしてドロドロになっていつ寝たのかもわからなかった。
おそらく普段なら今日もそうなっていた。

が、本日は珍しく下の娘の方の部活が雨天中止となり、まずは仕事が半減された。
また、週末にやる仕事があるのだが、それもなんとか夕食前には完成した。
で、先週のトレーニングメニューも完了している。
ただ、二日酔いがひどくて、結局7時の晩飯前になんとか戻ってきたという感覚だった。

なら、明日は仕事だし、酒もやめれば良かったのだが、昨日はひどかったものの、その前は3日酒を抜いており、結局週末といえども飲んだのは昨日だけ。
正直なんだか飲み足りないし、おかずが手巻き寿司だったので、我慢せずに飲むことにしてしまった。
まあ、それは良い。
楽しく晩飯も食えた。
が、よく考えるまでもなく、結局二日酔いでダウンしていて何もしていない一日だったので、なんだかオカシイ。
酒も飲めないことはないが、大して旨くもない。
所詮こんなものだったのかもしれない。

とか、なんとか、やっているうちに、家族は一日忙しかったようで、早くに寝てしまった。
そして、珍しく私一人が取り残されてしまったというわけだ。

最近じゃあ歳のせいか、私が一番に就寝することが多い。
もちろんほとんど酔っ払っているから、他のものが何をしているのか。わからないまま寝ているわけだ。
が、今日は飲んでいるとはいえ、規定のビール4本と熱燗2合であって、酩酊しているほどじゃない。
だから、なんだか時間が勿体なくって、明日の予定のストレッチングを少しやることにした。
したらば、すごい汗で、けっこう酒が冷め、なんだか一人取り残されて起きているというわけである。

今までなら、ここで飲んだ。
そして、TVでも見て、もうちょっと飲んだかもしれない。
明日が仕事だということはわかっているが、月曜日は禁酒する可能性の高い日でもあるので、ちょっとぐらい余分に飲むことも抵抗はないのだ。
でも、今日はやめた。
それはブログのせいかもしれない。
太った腹のせいかもしれない。
ふんづまっている仕事のせいかもしれない。
見えない未来のせいかもしれない。
でも、今日はやめた。
というか既にビール4本と熱燗2合を飲んでいるので、やめたことにはならないが、「そこでやめた」
これも「非常に珍しい」ことなのだ。

そして、色々と考え始めたのだが、あまりにも珍しい時間帯の過ごし方なので、せっかくならとブログを書くことにした。
恐らくいろいろな不安からジョギングを始めた8年前にはこんな夜は一度もなかっただろう。
それ以前なら、絶対無かったし、やがてそんな夜を経験することなど夢にも思わなかっただろう。
でも、こうしてそんな夜はやってきた。
何も特別良い夜ではないし、なにか得するわけでもない。
ただ、家族も全員寝てしまって、TVもついていない、静かな夜というだけだ。
そして、そんな夜なら、決まって、飲み明かすのだが、
お酒も途中でやめてしまっているということだ。

今はペットボトルの水道水を飲んでいる。
それも案外おいしいものだ。

なんだかよくわからないが、いろいろな過ごし方があるし、未来なんか、考えているようにはならないということなのだろうか?
ただ、こうして、お酒の存在が少しずつ、少しずつでいいから、薄くなっていくといいのかもしれないと思ったりした。
そう言いつつも明日またすぐに飲んだりするのかもしれないが、「水」を飲みながらタバコも吸わず、コンピューターの前に座ることを、かつて想像できただろうか?
そう思うと少しずつだが、脱出しているのかもしれない。
いや、少なくともこんな私ですら、ちょっとは前進しているのだと思う。
まあ、前進のスピードが遅くって、老化に追いついていないのかもしれないが、たぶん39歳の頃よりはマシな生活をしているのかもしれない。

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うーん最悪

頭は痛いわ、くらくらするわ、何も出来ないわ、で、
学生の時ならいざ知らず、やらねばならないことがたくさんあるのにこれでは・・・・・
本当にいかんな。
自己嫌悪というほど落ち込んではいないが、ええ歳こいて本当に何やってんだ。
ちょっと反省しよ。
もう本当に反省しよ。
のんびりした一日があってもいいとは思うが、これは違う。
苦痛なのに、何もできない一日だ。
それでもって、そこまで楽しいことが昨日あったのかといえば覚えていない。
全くもって
無意味な晩。
そして無意味な翌日を作っただけのことである。
もういかん。本当にいかん。

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あー気持ち悪い

飲みすぎればこうなるのはわかっているのに、何十年繰り返せば気が付くのか。
今朝はそんな思いだ。
どれだけ飲んだのかも記憶にない。朝起きれば伸ばしていたヒゲもきれいに剃ってある。
夕食は鍋をやったのだが、それも雑炊用に片付けてあった。
まったく記憶がない。
ただ、ワインは1本まるごと飲んだ気がするし、ビールはたぶん4本以上、熱燗は2合かな?
最低限それぐらいは飲んだ。
3日休肝したから肝臓の調子が良かったらしく、どんどんどんどん飲めてしまった。
で、こんな朝である。
全然話にならない。
頭も回らないどころかろれつも回らない。
やる気にならないというか何もやれない。
いつも以上にヒドイ。

でも、「いつも」はここまでひどくないにしろ、やっぱり一旦飲むと翌日に残るほど飲むというのが常らしい。
ここ3日間やめて「大した変化はない」としていたものの、これだけ落差があると
「よーくわかる」
というものだ。
いかん。本当にいかん。
自分自身にも約束はできないが、本当にこんな癖はもう卒業しなきゃいかん。

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こんなことも珍しい

のだが、昨晩は週末前夜の初日でもあり、「猛烈に飲みたい」モードで帰宅するも、あれやこれやで夕食が9時半を回ってしまった。
平日ならまだしも、週末なので、いつもなら遅くとも「飲む」。
が、一度こういう場面でメシを食ってしまったらどうなるのだろうか?と食事をたいらげることにした。
幸いにもおかずはホイコーローで私の「米の友」ベスト10に入る逸材だ。
サブメニューまで片付けてしまうと、食前のような飲酒欲はない。
まあ、酔っ払いたいという欲求は残っていたが、ビールを飲まずに日本酒や焼酎に行く癖の無い私としては、腹一杯でビールが飲めなきゃ熱燗も焼酎もないのだ。
よって、せっかく2日連続で休肝したというのに、もう一日休肝。本当に珍しい3日連続休肝日となってしまった。
これは一昨年肝臓が腫れ上がり、ぎっくり腰のようになってしまった時以来で、本当に珍しいことなのだ。
今日は連休中日とあって、おそらく飲むであろうが、こんなことも出来るとは、ちょっとうれしかった。
なので、寝る前にちょっと張り切って背筋とかスクワットとかやってみたが、それはあんまりよくなかったようだ。
翌日起きてみれば、期待したほどの快適さもなく、ただ普通である。
でも、こんなカンジで仕事の前日には飲まない習慣がつくと嬉しい。

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こんな方法もあった

おとといの晩は酒をやめた。
一応は自主的であるものの、今週の休肝日を達成できていなかったこと。
そして、最近仕事のトラブルに振り回され、そんな時はいつも「酒浸りになってしまうことがちょっと情けなかったこと」。の反省でなんとかやめることができた。
なので、昨日は「まあ飲んでもいいか?」と帰宅も早かったので、先週約束した「週に2回の休肝日」など簡単に裏切って「もう飲んでもいいか?」と帰ってた。
が、何故か珍しく早い時間に晩飯は出来上がっており、好みのおかずもあったので、ビールを抜く前に手をつけてみれば、ともかくお腹が空いてきて、次から次へと飯を食いだした。
気付けばあっというまにたいらげて、腹一杯になってしまった。
そこでもビールは飲みたくないことはなかったのだが、なんだか、腹が膨れすぎていて、いつもほどの欲求もない。
なら熱燗とも思ったのだが、これまた「熱燗にはアテ」というように、そのアテを食う欲求がない。
よって、まあ牛乳でも飲もうかということになり、そしたら眠くなってきて、花粉症の薬を飲んだら「バタンキュウー」となってしまった。
よってものすごく珍しい「連続休肝日」を成り行きで達成してしまった。

ま、結果良ければ全て良し。ということだ。
今週も色々とあって仕事は全くうまくいかない。
それだけを考えていたら非常に落ち込むし、休肝日もトレーニングももうどうでもよくなっていただろう。
が、アントニオ猪木先生の教え曰く
「元気があれば何でもできる」
健康第一、仕事は第二で、休肝日と残りのトレーニングが本日できれば、健康面は合格だ。
世間話にゃうといのだが、なんだかビールも値上がりするって?
私がタバコをやめたときと似たような状況になってきた。
少なくとも来週も休肝日が二日取れるといいなぁ。

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週末

予想通り、金、土、日と飲み倒して終わった。
正確ではないが、毎晩缶ビール5~6本。熱燗2合がアベレージだ。
それでも木曜日を休肝日としたせいもあるのか?ダメージは少ない。
ただ、今朝は月曜日ということもあり、布団から出るのはつらかった。
寒いというだけでなく、登校拒否児童のようなものか?なんだか、何もする気が起きず目覚めからヘコんでいた。
きっとアルコールのせいもあるのだろう。
というかアルコールのせいだけなのかもしれない。
が、月曜日は朝礼もしなければならないので、イヤイヤながらも出かけなければならなかった。
これで本当に起きられなくなったら、ちょっと鬱ということになるのだろうか?
気をつけたいというか、気をつける方法があるのかわからないが、そうならないことを願いたい。
まあ、ともかく今週は始まった。ややこしい仕事も多い。
考え込む仕事もある。トレーニングも消化したい。
休肝日も2日は作りたい。
なんだか義務的なことが多く、平日を苦痛に思うことが多くなっているが、なんとか雰囲気を変えたいものである。

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週2回目の休肝日

なんとか達成しました。週に2回目の休肝日です。肝臓のこともあるのですが、たれかけてきた腹を見ると、少しは頑張れるようです。
今週2日目ということもあるのかもしれませんが、朝はやっぱり快適です。
この快適さを夜に思い出せば、もうちょっと何とかなりそうなものですが、夜には忘れているのでしょう。
実際、食事を終えてしまえば、さほど飲みたいということもなくなるのですが、食事の前に一杯やってしまう習慣が一番の天敵のようです。
食後のタバコのようなものかな?その習慣を崩すとよいのかもしれません。
でも、まあ週に2回は思い出すようにしていきたいと思います。
私にはもう一つ欠点があって、休肝日が増えると、その分飲む日の量が増えてしまいます。
つまりトータルすると何にもならないわけで、ここらあたりが冷静でないというか、卑しいところです。まるで「飲まなきゃソン」のような体質だからです。
一見関係ないようですが、日頃の量も抑えることが、休肝日を苦しく思わないことにつながるのかもしれません。
ま、いずれにしろやめられてよかったです。初めてブログの効果が出たように思います。
本当は酒以外のことについて書いていきたいのですが、まずは「酒体質から脱出すること」が私の場合「全ての源」になっているように思いますので、それができてくるまでは酒話題ばかりだと思います。
情けないことですが、結局そこが一番問題になっていると思います。

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休肝日②

それとともに休肝日も増やしたい。昨日は反省と勢いで週休5日なんてことをほざいてしまったが、そりゃ量や時間の調節は難しいとしても、1日しかできないヤツが急に5日できるはずもないもので、もうちょっと地道に経験を積まねばならないのだとは思う。
いや、昨年の花粉症の時期も休肝日を増やしたことがあり、週に4日なんてのも記録はしたが、結局花粉症の時期が終わり、暑い夏にそれまでの制限は一挙に崩壊する。
少なくとも昨年はそうだったのだから、「もう一度やり直す」ぐらい地道に取り組むべきであろう。
なら、休肝日もとりあえず「もう一日」だ。
週に2日の休肝日と飲む日のMAXも缶ビール3本と熱燗2合。まずはここからスタートだ。ともかく飯前の飲茶がキーワードのような気がする。
そして、だだくさに飲まないこと(つまりは味わって飲む)ということ。じっくり飲めば3本も時間がかかるのではないだろうか?まあ、正直今は水のように飲んでいるし。
このような酒量では無駄なようだが、一応簡単なトレーニングもこなしている。それはけっこう定着しかけているのだが、本当に簡単なので消費カロリーが少ないらしい。
酒量に見事に負けて現在71.5kgに体重は増えてしまっている。

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MAX③

「参ったな」というところだ。正直、今の定量なら飲んでいる最中には何ら問題がない。私の食事ペースやおかずの量からしても、「ちょうど良い」量なのだ。
ある意味満足しているのである。それをわざわざ少なくするのは非常に忍びない。
冬場の熱燗は今やビールより好きなのではずせないし、ビールとていまだに「旨い」ので困ったことである。
が、実験の結果「多い」ので何とかしなければならない。
そう、今、我が家はドライと一番絞りとエビスの3種を混合している。これはどうしてもたまにエビスが飲みたいのだが、エビスは高くてもったいないというので、他も混ぜているのだ。
ところが、毎日3種を飲むようになると、かえって「全部旨かった」のである。それぞれの良さが引き立つと言えばよかろうか。そんな新たな発見もあったりする。
なら、3本以下には今のところ非常にし難い状態でもある。
で、ここで少し思い出してみた。前に酒量を抑えたいがために、「最初の一杯」をやめてみたらどうなるかを試したことがある。つまりは夕食を食べてから飲み始めたらというものだ。
この実験はたしかに酒量は抑えられた。が、飯が多く食べられてしまい、体重がえらい勢いで増加したのですぐに打ち切ったことがある。
タバコをやめた現在食欲はものすごく旺盛であり、とても危険な選択肢でもある。
が、まずはお茶を一杯飲む。まずは食事を優先させる。そして、ツマミになるようなものを残す。もしくは食後でも飲めるようなら飲む。といろいろな習慣を変えてみたらどうだろうと思うのだ。
そうすればまずは「缶ビール3本と熱燗2合」ぐらいでいけやしないか?ということである。
熱燗の量にしたってそう。たまたま2合とっくりしかないからで、調節して1合に控えていく手もある。
ともかく「酒MAX減量」をまずは始めようではないか。

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MAX②

しかし、やっぱり50歳も近いとなると、そうそう毎日そんなに飲むと支障が出てきた。
肝臓がパンパンに腫れ上がって食欲が失せるときが出てきた。
つまり、基本量を超える分についてだけでも、控える必要が出てきたわけだ。
よって、外での飲み会を除いて、自宅で飲む場合の一日の酒量は、できるだけ基本量の範囲に抑えるというように「一応は」している。(オーバーしている日は多いものの一応は意識はしているということ)
が、このMAXとて、本当に翌日に支障がないのか?といえば、どうも、そうでもないらしいと思えてきているのだ。
となると、人体実験してみたくなるのが、私の常である。
昨日あれだけ反省したにもかかわらず、やっぱり夕方には飲みたくなってきた。
水曜日は数少ない家族で飯が食えそうな日でもある。
やっぱり飲もうかな?そもそも急に禁酒なんてできるはずもない。見事に悪魔のささやきに負け、帰宅後早速飲酒となった。
私にしては割と早い時間からの飲酒であったので、酒量は進み、あっと言う間に基本量は終わった。
まだ、「酔い」は追いついてこない。もう一本か焼酎が飲みてーなー。正直そう思っていた。
実はこんな時を予想して、焼酎は前回切らしてから買ってはいなかった。焼酎の量はヨメにばれないため、好きなだけ飲めるのだ。
が、これがよくなくって、焼酎に手を出した翌日はほぼ確実にグロッキーしている。これは焼酎が強いのではなく、量がバレないと思って好きなだけ飲んでしまうからだ。
もう、その時点で冷静でないというか、欲が勝ちすぎている。
だから、ちょっと焼酎を買うのを控えているのだ。
となると、あとの選択肢はワインか熱燗かビールしかない。ワインはハーフボトルをもう消化しているので、フルボトルしかない。これは完全にアウトになる。熱燗をもう2合というのもなくはないが、熱燗はつまみにうるさいので、作るのがもう面倒だ。
ってなワケで何気に缶ビールをもう1本取り出して仕事場のPCの前に座る。いつもならここで完全に「プシュー」だ。が、さすがにこの日はあれだけの反省をブログに書きながら、誰も見ているもんじゃないとはいえ、自分自身がちょっと恥ずかしく思い、定量を超える1本ぐらい我慢しなきゃいかんかな?とやめてみることにした。
こんなささいなことだが、実はけっこう珍しいことでもある。
で、早めに寝て本日の夜明けを迎えてみたのだが、うーんやっぱり少し残っている感がある。
つまり、缶ビール4本と熱燗2合でも、「多い」ということだ。

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MAX①

晩酌が定着した若かりし頃のMAX酒量はわからないほど多かった。そもそも飲み屋で大ジョッキ3杯とその後にバーボンボトル半分飲んだり、友人と二人で大瓶1ケース開けても吐くようなこともなかったからだ。
自宅にも常時ビールが大瓶2ケースあり、在庫は切らさなかったので、相当に飲んでいたと思う。
うっすらと記憶にあるのは、食事前にまず1本(大瓶)。食中にもう1本。最後に締めでもう1本飲むとハラが膨れてしまってバーボンに切り替えていたように思う。
つまりはビールだけでも2リットルぐらい毎日飲んでいたのだろう。
その後結婚し、瓶ビールの生活は無くなる。そんな邪魔臭いものを冷蔵庫に置いてはもらえないからだ。
よって500mlの中缶?なのかな?それが在庫のビールとなった。
バーボンはあまり飲まなくなった気がするが、それでも中缶を6本は毎日消費していたので、1日3リットルとかえって酒量は増えたのだろう。
なぜにそんなに飲むかといえば、まずはペースが速いことがある。ハラが膨れるより早く飲むので、実際じっくり飲んでいたら、こんなには飲めないようにも思う。
「膨れる前に飲んでしまう。」そんなカンジだ。
ということは「酔ったこと」を感じる前に飲んでしまっているので、酔いに満足して飲み終わったあとからどんどんどんどん酔いは追加され、朝起きても酔っているのだと推測する。

こんな飲酒癖にヨメは驚いていた。いやさ、付き合いは長いので相当飲めることは知っていたのだが、毎日続けていることに驚いたわけだ。
で、当然自粛を求めてくる。
育った家庭で、そのような警告を聞いたことがない私は反発する。そんなやりとりで数年を過ごしてきたが、徐々に年を取り、毎日3リットルも飲んでいる生活ではカラダが持たなくなってきた。
なんだかしょっちゅうダルい。
そんなわけで中缶が禁止されノーマル缶(350ml)が6本となった。
が、これでは酔い切れないときがあり、この頃から補充用として焼酎を愛飲するようになる。
これで一時的には楽になってきたのだが、どうみても毎日飲むには多いと思えるように、やっぱりカラダには負担があったようで、まだまだ減らす必要が出てきた。
で、ノーマル缶4本と焼酎、および日本酒という現在のMAXが出来上がってきたのだ。これがジョギングを始めた年、そう8年ぐらい前だったように思う。
その後はこの酒量を維持している。
というと聞こえは良いが、これが定番の量であり、缶ビール4本で済まず5本、6本といくときもあり、ワインを1本空けてしまう日もあり、熱燗が4号増えることもある。
つまりは、基本量が減っただけであって、実際のMAXは無制限なのである。

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ものすごい言い訳

女優の三○佳○さんの息子さんを見ていると思うのですが、失礼を承知で言わせてもらうなら、覚○剤をやってくださいといわんばかりの環境が用意されていたように思います。
あの息子さんでなくても、あの家庭のあの状況にあればかなりの確率でシャ○中は育つという気がします。
と、わが身を振り返ってみると、私の場合もけっこうな確率でアル中になる環境で育ったように思います。
親のせいにするつもりではありませんが、言い方を代えるなら、「アルコール中毒になれるほど恵まれた環境であった」ということです。
私の育った家庭は決して裕福ではありません、むしろ小さな時は貧乏だったのですが、晩酌や飲み会だけはものすごく重要視されていました。
それこそ当時は星一徹のような一家が多く、全ては主の言う通りだったので、貧乏しようが、つぎはぎ着ようが、「酒だけ」は欠かさなかったというわけです。
なので、家にはいっつも「酒」がありました。
また、家系なのか親戚筋も酒好きが多かったので、里帰りや盆・正月にも「酒」は主役でした。
若かりし頃より違和感が無かったのは、小さな頃より酒に馴染みすぎていたというのがあります。
なので、酒の効能も小さな頃よりよく知っていました。
私の思春期には不幸にしてオムカエさんに精神異常者が住んでいまして、その方が頻繁に夜通し騒ぐので、全然寝付けない夜というのがけっこうありました。
一日ならともかく2夜3夜と続くと本当に参ります。そこで睡眠薬代わりに酒が登場するのです。
そんなことで若い頃からたしなんでいたこともあったでしょう。日に日に強くなっていきました。
また、それをとがめるというしつけが我が家にはありませんでした。
身勝手で厳しい父親でしたが、「酒」だけは特別で、家族での話し合いも「酒」を飲みながらするのが、習慣でした。
というよりも、話し合いよりも、「酒」が飲みたかっただけなのだと思いますが、それこそくどい話になることが多く、そんな時は一ケース空っぽになることも珍しくはありませんでした。
やがて、弟もこれに加わってきましたので、さらに酒量は増えました。
その後家庭がいろいろと不和になり、話し合いというか、争いが絶えなくなったのですが、そのストレスの発散と、また話し合いと、結局、毎晩暴飲することが習慣になっていきます。
そして、アル中患者は出来上がったと思います。
私も、父も、弟も、皆けっこう肝臓が強かったのでしょうが、これだけ飲み続けても大した病気にもならず、見た目は健康でした。
ただ、本当に一日も休みなく飲んでいたので、情緒不安定というか、精神的にはこの3人はカッとしやすく、飲んで話すとくどい・・・つまりはアル中だったと思います。
私は就職したものの、やっぱりその生活は変わらず、いや、むしろ飲み会の多い職場だったので、給料が入る分、余計に飲むようになりました。
この頃からは父や弟とはほとんど飲まなくなり、独立したアル中になっていきました。
で、結婚して奥様がビックリしたというわけです。
もともと飲むことは知っていますが、今までは会っても一日だし、飲んでも店なので、ゴミを見たことがありません。
毎日排出される「缶」の量、ときたま出てくる一升瓶、バーボンのボトル、ワインのボトル、酒なら全部常駐しているという事態に驚いたのです。
が、私が育った家庭では「当たり前」のことだったので、驚いたことに驚いたわけです。
今は年をとって、それだけの種類や量を飲めなくなりましたので、思い出すと、とんでもない生活だったことはよく理解できますが、当時は何の違和感もありませんでした。
なので、今の私の素地は三○佳○さんの息子さんとある意味似ていると思えるわけです。
彼もこのままではいけないように、私もこのままではいけないのでしょうね。

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ブログのはじまりからすると

健康のためにアルコールの節制を考えるようになったようだが、実際の心境は正確にはちょと違う。
事件や事故こそ起してはいないが、アルコールによって私の生活はけっこう蝕まれているんじゃないか?と思い始めてきたからだ。
それほど几帳面に生活したいわけでもないし、精錬潔癖曇りなく生きていけるとも思っていないし、快楽を追求するということが悪いことではないと思ってはいるが、今のお酒との付き合い方では、害の方が圧倒的に目立ち始めている。ということである。
とどのつまりは健康にもつながるだろうから、無関係ではないが、むしろ精神面、生活面、やる気の面、情緒の面、ねばり強さの面・・・・とどのつまりが「心の面」をかなり蝕まれているんじゃないか?と思えているということである。

この程度の酒量で?と思われる人も居るだろうし、私自身もそう思ってきた。が、ビール1本で酔っ払う人も居られるように人と比べるものでもない。
自分なりの生活を振り返って思いつくところがあれば、やっぱり問題なのだとは思う。
現に医療による科学的診断では「即座に禁酒」を要請されるほどの飲み過ぎなのだから、これだけ言い訳を並べる自分はまだまだ甘いということになる。
ただ、何故にそれほど自分に甘いのかといえば、これでも外見上はけっこう毎日の生活を頑張っているように「見える」からだ。酒は何も関係ないように見えるからだ。
でも、たしかに、いろいろなことに手を出し、ある程度は頑張っているとは思うが、それこそ「人と比べるものではない」とするならば、酒が入っていなければ、もうちょっと快適に日々の暮らしが送れるのは間違いないところでもある。
そう思えるのは、やっぱり快適でない部分がたくさんあり、その原因はどうも酒にあることも少なくないからだ。
もちろん酒をやめたからといって、薔薇色の人生になるとも思っていないが、休肝日の翌日たまにある「快適な朝」の回数が増えるなら、そりゃあ一つぐらいは何かいいことがあるかもしれない。
タバコをやめた効果はその後も酒に溺れているので実感しずらいが、それでも、今や街の片隅に追いやられてまで必至でタバコを吸おうとしている人を見ると、やめて良かったと思う日もある。
何しろそれで月に一万円使わずに済むというのも有り難い。
だから、酒だって無くても生きていけるはずのものだから、本来やめてしまえるものならば、タバコ同様「快適に思える瞬間」はやっぱり増えるに違いないとは思うのだ。
問題は、どこまでやめられるか?だ。
おそらく「全面禁酒」でないと、前述のように「量の調整」や「日数の調整」はできないものだと思う。
それはかなりの確率でそうだと思う。
が、自分に甘いのかもしれないが、いや甘いとは思うし、だから続かないとは思うのだが、「全面禁酒」はとても無理としか、今は思えない。
当たり前だが、週に一回の禁酒ですら、精一杯なのである。
だから、いきなりそんな大それた目標など理論はわかっていても立てられないのだ。
となると「どの辺?」になるのだが、一つ目標にできることはある。
それは、「快適な生活を送りたいから」の禁酒であるなら、ともかくつらい仕事がさらにつらくなるような飲酒をまずは減らすべきだろうというものだ。
翌日の起床が決まっていない休日前や、スケジュールにも思考にもゆとりのある休日前は、まずはまあ許してやっても良いではないか?
週末ならば、「一週間無事に過ごせた御褒美」にもなる。それじゃあ2日しか飲めないじゃないか?というむきもあるが、それでも週に2日は飲めるという考え方もある。
基本的には翌日仕事があるなら「飲まない」という設定になる。
今の時点でこれは非常にハードルが高い。いや、高すぎる。
が、ここまで考察してきた、私のアルコール障害から考えると、実に理にかなっている。
全然飲めないわけではない。週に2日は「確実に飲め」て、しかも「休肝日」も設定できる。おまけに前の晩には飲まないなら仕事には影響が出ずらい。
理論的に考えただけあって、見事な折衷案だ。
が、問題は高いハードルである。週に5日もやめることができるものなのか?というところだ。
が、じゃあ「何曜日と何曜日はやめる」とか「何曜日は飲みたい」とするなら、この考え方自体にもはや意味がない。つまりは「飲みたいときに飲めばよい」となるのであって、恐らく今と何も変わらなくなるだろう。
話を元に戻すならば、もともと「完全禁酒」でなければ、おそらく成功しないのだ。ソレを承知でどこまでなら定着しそうで、しかも頑張れるのか?となると、週に2日の休肝日はかえって定着できないんじゃないか?と思うのだ。
まあ、難しい。酒をやめることがストレスになってもいけないし。

ともかく、こうしてウダウダと言いながらも、一日一日休肝日が増やしていけたらとは思うのであります。
日中はそう思っているのに、昨日のような失態があるから、余計にアル中から脱却しなくてはと思えるのであります。

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前述したがタバコの場合は

こうして自問自答することから始まって、何年もかかってやめることができた。というか、今はやめている。
お恥ずかしい話やめる際には禁断症状まで出たので、3ヶ月ぐらい苦しんだ。
なので、この自問自答はお経のようなものでもある。
同じ手法を用いて「アルコールも」と考えているわけだが、正直自分に甘さがあるのが、節制しきれない原因だと思う。
タバコもそう。最初は「本数を減らそう」としていたのだ。が、そんな甘いものはやっぱり通用しなかった。「吸う」という習慣がある以上、ニコチン中毒であるとかないとかではなく、日常からはずせなくなっているのだ。
だから「習慣」というのだろうが、それが1本だろうが、5本だろうが、20本だろうが、「吸う」ということ自体に変わりはなく、あとは食事同様「ハラが減ったら食う」ように、吸いたくなったら「吸う」。
つまりはなかなかコントロールできない領域に入っていくのだろう。
その理論はけっこう正しいように思う。
私の酒の飲み方もそうだからだ。週一の休肝日でえらそうなことも言えないが、別に休肝日でなくとも良かったわけで、もともとは「翌日残らなければ」いいわけだ。
が、これができないのである。「今日は2本にしておこう。」それができないのである。
飲みだすと、酔いたくなるのだろうか?大体決まった量まで飲んでしまう。いや、量を自在にコントロールできるぐらいなら、好きなときに飲み、好きなときにやめ、好きなだけ飲み、控えたい量にできる。
というわけで、アル中になんかそもそもならないのである。
タバコもそうなんじゃなかろうか?量がコントロールできるなら、吸わない期間だってコントロールできるわけで、それはもう、習慣ではなくなっている。つまりは、タバコをやめられない人ではコントロールはできない。
一見おかしいようだが、そういう理論が成り立つのではないだろうか?
だったら、やっぱりアルコールもそうだと思うのだ。
つまり、休肝日ではなく、禁煙同様「禁酒」ができなければ、量なんかコントロールできるはずもないということである。
こじつけっぽいが、自分にはものすごく納得できる理屈であり、だから自分がアル中であることにも納得する。

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今日は書く。徹底的に書く。

私はこの「アル中」を治したいと思うようになっている。
かつてはそうでもなかった。それはやっぱり若く、消化吸収もよかったのだろう。翌日に影響することも少なく、また、飲んでいる最中のこともよく憶えていた。
つまり、飲んでいることがそれほど支障にはならなかったからだ。

が、いつ頃からだろうか?ある程度お酒が進むと途中からの記憶が怪しくなったり、最近じゃあほとんど憶えていないことも多くなった。他人にはそれほどでもないかもしれないが、女房には相当ひどい暴言も吐くこともあったようだ。
そして、それは酒のせいではないと確信しつつ、翌日にはちょっと後悔したりする。体調の不良はもっと目立つ。なにしろ酒量を減らしているのに朝方スッキリ起きれない日が多いのだ。
これを二日酔いと言うのだろうが、ひどい頭痛までいかないのなら、しょっちゅう二日酔いなのである。

こんな状態でもう、何十年と生きている。いや、これが普通だと思っていた時代がものすごく長いのだ。
ギックリ腰かと治療に出かけ、「アルコールで肝臓パンパンですよ。」と診断されて、初めて休肝日を設けるまで、「朝はスッキリしないもの」と思っていたぐらいだからだ。
もちろん休肝日を設けるようになったからといって、急に目覚めがよくなったわけでもないし、むしろ、酒を抜くと全然眠れない夜になることもあるぐらいだ。
でも、ほんのたまに、ものすごくスッキリ起きられる朝もまた、初めてぐらい体験したのである。

やっぱり私の体にはアルコールが常駐しているんだ。酒のしみついた生活。酒のしみついた心。酒のしみついた体。
つまり私の行動や考え方に、ものすごく酒が影響しているのではないだろうか?
日頃悩みや不安が多いわりには、大した行動もなく、やらねばならないことがたまってきても、なんだかやる気がおきなくって、結局また困ることになり、悩んでしまう。
それが全てお酒のせいとは言わないが、じゃあお酒を飲んでいなかったら?翌日まで酒が残っていなかったら?朝スッキリ起きれていたら?
そりゃあ、半分ぐらいは違ってくるのは、何だか自分でも明確に思えるのである。

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情けない

朝目覚めて前日の酒が残っているときは、いつもそう思う。
「昨日は飲めて良かった」とは滅多に思わない。
酒の席は楽しいことも多いのだが、結局ついつい飲み過ぎてしまうので、失言や失態も多く、やっぱり翌日ちょっと後悔したりする。
つまり、「飲んで良かった」と思う確率はほとんど無いということだ。
なのに、「飲む」。昨日もそうであった。

おとといの晩はは週一の休肝日をクリアし、これまた昨日は週一のジョギングもこなし、けっこう快適な一日でもあった。
そして「これなら2日連続で・・・」と午後4時ごろまでは禁酒を予定していた。いや、その時点までは本当にできそうでもあった。

そこから何か変わったことが起こったわけではない。ちょっといつもよりは早めに帰宅できることぐらいだったのだが、もうたったそれだけのことで「飲みたくなって」しまったのである。

家に帰ると子供達の習い事で家族は誰も居なかった。だから何だということもないのだが、ごく普通にビールをプシュっとやってしまった。
このときに珍しくちょっと後悔の念があった。「さっきまで禁酒しようとしていたはずなのに・・・」という思いがよぎったからだ。
でも、空けてしまったからにはもったいないので飲むことになる。

そして、家族も帰り、いろいろな話題で盛り上がるうちに・・・2本、3本・・・そして日本酒・・・と毎度のペースになっていく。

まあ、いつもなら毎回の量で終了なのだが、この日は前日の節制とトレーニングで妙に快適な分だけさらに飲めてしまった。そしてまた、珍しく見たいTV番組もあったりして、余計に起きていたかったので、さらに酒が進んでしまったのだ。

都合ビール6本と熱燗2合。焼酎が切れていたからこれで済んだようなもんだ。で、朝から不愉快なわけである。

何にもならない。休肝してもジョギングしてもストレッチをしても、これじゃ何にもならない。いや、していなければもっとひどいことになっているだろうが、それでもやっている意味は半減している。
冷静な頭で考えれば、どれだけ無駄なことをしているかわかることである。
酒量だってそうだ。金をションベンに変えているようなものである。

何十年と吸い続けたタバコもやっぱり簡単にはやめられなかった。簡単にやめられる人や吸わない人もおられるだろうが、私は心が弱いのでしょうか?本当に何回も何回も挫折した。
で、結局理屈っぽくしたかったわけではないが、ものすごく理詰めで自分を説得しながら、日記のようなものをつけて、ようやくおととしにやめることができた。

今回はそれをブログに託しているわけなのだが、結局今のところ何も変わっていないし、自分も変わろうとはしていない。変わろうとしているのは午後4時ぐらいまでで、それ以後はいつもの自分が甦ってくる。
正直、今は家にたっぷりとお酒があるので、夜中に買いに走ることはなくなったが、以前はよくあった。もちろん休肝などしたことない。だから当時は「アル中」だと認識できたのだが、最近はこれでも当時より酒量も減ったし、寝る時間も早くなったので、アル中だとしても、「治りつつある」と思っているわけだ。
が、現実はこうである。午後4時まで「やるぞ」と決めていたことが、理由もなく「できない」ばかりか、いつもより「飲み過ぎてしまう」ぐらいで、それは見事にブレーキの効かなくなっている証拠だ。
そう思うと、絶対「アル中」なのである。

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休肝日①

Kafun お約束の休肝日を初日の月曜日に達成。ちょっとホッとする。

別に誰と約束しているわけでもないのだが、こんな私でも週に一度ぐらいの節制はしたい。間もなく日本では花粉症の季節となり、けっこう症状のひどい私としては毎年苦労をする。が、昨年「酒を控えると翌日は楽だ」という神の声を聞き、即座に実行してみればなかなか良い。心なしか花粉症の薬もよく効いて、眠くなるときがあるほどだ。

よって今年も花粉症の準備のために、いよいよ薬を飲み始めようと思っていたので、その前日は都合の良い休肝日だったのである。

月曜日はだいたいストレッチングの日なのだが、それもしっかりやって、酒も抜いて、薬を飲んだためか、爆睡してしまった。

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やっぱり・・・

Moon 微妙な二日酔いです。いや、これが普通の二日酔いなのかもしれませんが、あまりにも慣れすぎてしまっているので、「軽い二日酔い」としか、思っていないのかもしれません。

まあ、人とは比べることができませんので、私にとっては「軽い方」の二日酔いです。こんなのは飲んだ日の翌日は定番です。良い悪いは別にして正直そうです。最近はまだ週に一回、もしくは二週に一回程度休肝日を設けるようになったので、その翌日だけは違いますが、毎日こうだといっても過言ではないぐらいです。

若い頃と比べると、翌日この症状に至る酒量はぐっと減りました。なので、若い頃に比べると「節制している」ように自分では思っているのですが、翌日の症状を基準として考えるなら、もう何十年も同じ生活を繰り返していることになります。

わかっていても何故繰り返すのかというと、年代によって違いますが、「あー酔っ払った」と自覚するまで飲むのが、セオリーなので、その状態まで飲むと翌日はこうなるわけです。

たまにストレッチやジョギングなど血液の循環を良くして飲むと、翌日二日酔いをあまり感じないときもあるのですが、実は飲んでいる量は同じです。

で、飲み会があるとどうなるかというと、これにさらに酒量が増えるわけで、会話のはずんだ飲み会なんかだと、実際どれだけ飲んだのか全然憶えていません。

情けないというより、最近はちょっとカラダは大丈夫なのかな?と思うことがあります。

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以前ダイエットをしたときに

Totoro カロリーの計算をしたことがある。

何かの本で読んだのだが、年をとると基礎代謝が衰える。なら若い頃と同じような生活で同じような食欲を維持していたならば、代謝の減った分はカラダに残る。すなわち太っていくということを。つまりは年齢とともに摂取するカロリーを控えていくのか、年齢に反して代謝していくカロリーを増やしていく(運動する)しか、科学的には同じ体重を維持できないというわけだ。

これに従って、39歳当時の私の食生活で私の体重を減らそうと思ったら、週に200分走らねばならないという計算だったのである。しかも缶ビールも一日2本までで。ま、それはキツクってくそまずいダイエットビールを3本飲んでいたのだが。

で、見事に痩せたのだから、その計算は正しかったことになる。となると問題なのは、今は走っているといっても週に60分。そしてビールは一日4本プラス熱燗2合。これで痩せられるはずもないのは当然なのである。

だから時折水泳を混ぜたりしだしたのだが、これがなかなか時間がとれない。何週かに一度気まぐれに公営プールに出かけては大慌てで1000m泳いで帰ってくる始末で、これでは痩せられるはずもない・・・・のだが、泳いだ日の酒は酔いも全身に回って気持ちよく・・・昨日もまたまたビール4本と熱燗2合を飲んでしまった。酔いながら焼酎のお湯割りが追加されなかっただけ今日はマシと思ったのが情けない。

問題は痩せることだけに収まっていないはずなのだが・・・

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