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2009年2月

おおーしんどい

2009022601 病み上がりにたまっていた仕事をともかく片付けた。
完璧とは言えないが、まあ、来週にはどうにかなるかという程度には追いついた。
トレーニングもぼちぼち再開した。
しかし、シンドイ。
時間もないので、トレーニングに風呂場も利用したが、正直ここは高いぞよ。
関係者の方が見ているわけはないだろうが、もし見ていたら、悪口ではなく、お客様のご意見として参考にしていただきたいものだ。
そもそもご自慢の風呂場とてそんなに立派ではない。
もっとリーズナブルでも上回る風呂場をお持ちのところが実際にある。
そして、更衣室など正直貧相だ。
ただ、受付ばかりがやたら豪勢で、しかも人が多い。
普通受付など一人か多くて二人・・・これが豪勢さの売りだとしたら、ちょっと勘違いではないか?と言いたい。
現にかきこみ時というのに空いていた。
昨年までの好況と資源価格の高騰もあって、ハイレベルな客層を狙ったのかもしれないが、正直ハイレベルなのは受付ロビーだけで、それは一度他のお風呂屋さんに行ってみればわかるのではないだろうか?
価格と提供が釣り合っていないように感じた。
余計なお世話だろうが、どうにも納得いかない金額だった。多分もう2度と行かない・・・

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休んでばかりもいられないので

トレーニングも再開しようと、少しジョギングをしてみた。
めちゃめちゃしんどい。
このしんどさは普通じゃない。
間隔が空いたからというよりは、体調が良くないのだろう?
インフルエンザがそんなに長引くものだとは思えないのだが、酒か?タバコか?年齢か?
ともかく、相当にえらかった。
あんまり無理しちゃいかんと20分で切り上げたのだが、それでも翌日しっかりバテている。
うーん早く治したいものだ。

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救済法その6

20090225 うーん。雨の重々しい雰囲気をちょっと吹き飛ばそう。
救済法の6は「やれることは全部やる」だ。
なんて言うと超前向き、超大袈裟なのだが、も少し正確に言うと、「やろうと思ってやれそうで、面倒臭いなと感じてもなんとか頑張ってやれそうなことぐらいはできるだけ今すぐ全部やってみようとする。」
程度の軟弱なものだ。

先日の仕事なんかもその例。
時間が間に合うのであれば「もう一件」、大した効果は期待できなくても、楽な方よりシンドくても頑張れる方に行こうかなっ?・・・と。
そういうクセをつけようかな、と。

もともとが怠け者だし、毎度、毎度というわけにはいかないかもしれない。
やらなければいけないことの1000分の1に満たないかもしれない。
でも、その一回とて何もやらんよりは何かになる。
そんな次元である。
たとえば、おしりを丁寧に拭くとか、机の上はいつも整理しておくとか・・・まあ、そんな程度なのだが、それでもやらんよりはいい。
というもの。
というか、それすらやらなきゃそれ以上のことはやっぱりできないでしょう。
というもの。

さ、雨にもマケズ・・・

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雨は嫌いだ

何かのトラウマかわからないが、意味もなく鬱状態になる。
もともとが閉所は好きではなく、また完全なる屋外派なので、生息場所を失うような錯覚に陥るのだろうか?
雨は本当に嫌だ。
しかし、いい大人がそんなことを言い訳に仕事も休めないし、手を抜けば翌日もっと嫌になってしまうので、何か対策が必要だ。
かといって、「雨がスキだ」なんで強引な言い聞かせができるはずもなく、けっこう雨の日の対処に困っているのである。
そもそも当然だが、雨の日は晴れの日に比べて寒い。
寒さにも弱い私にはダブルパンチなのである。
何か雨の日を無難にやりすごすような方法があれば良いのだが・・・
これは残念ながら「救済法」が見つかっていない。

しかも、今週は雨、雨、雨、・・・
参るなぁ・・・ともかくカラダを動かそう。

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すっきり回復しない

2009022301 まあインフルエンザだったから仕方なかろうが、それでも治り方がどうもしっくりこない。
じっと大人しく寝ているわけにもいかなかったからか、なんだかまだフラついている。
筋肉がなくなってしまったみたいだ。
とりあえず仕事はしなきゃならないし、かといってもう一度ひきなおしするもの嫌だし、少しずつリハビリトレーニングを交えてて回復していこうぞ。
せっかく酒も3日間やめることができたのだが、禁酒後のおいしさもない。
薬を飲み続けているから胃が荒れているのかな?
ともかく元気なカラダに戻さねば・・・

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○倉○子

2009022101 という有名な女優がいる。
演じてきた役柄がけっこうアクの強いものが多く、好き嫌いの別れる女優だろう。
私は正直ファンではない。
が、彼女の姿勢は抜群に良い。(もちろんスタイルも良いのだが)
これぞ!という写真がなかったので、こんな程度のものしかお見せできないが、ドラマで見せる横からの立ち姿なんか本当に凛々しい。
いつから女性が凛々しくなってしまったのかわからないが、男性でこのような姿勢の方を見た記憶がない。
きっとおられるのかもしれないが、気がつかない。

実は私大変姿勢が悪い。
仕事上コンピューターの前に座っていることが多いこともあろうが、どうも歩いていても、立っていても悪いだろうなぁと推測できる。
「気をつけていない」ということが一番の原因だろうが、「気をつけていない」と常に背中が曲がっているのかもしれない。
たかだか背筋を伸ばすことであって、できないことではないのに、これがなかなか普段は気がまわらないのだ。

彼女とて仕事の撮影以外はリラックスして、こんなにシャンとしていないかもしれない。
いや、それがそうも思えないのだ。
正直私が言える分際ではないが、顔とてあんまり好みではない。
が、彼女は非常にきれいに見えるときがある。
というか、一生懸命きれいに見えるように常に気を使っているように見える。
それが「卑しい魂胆」からされているようには見えないのだ。

私は彼女のことをあんまり知らないのだが、彼女のきれいさは彼女の根性のたまものであるように思える。
私にキレイさは必要ないが、きっとこんな姿勢だったら健康にも良いのだろうなぁと思うと意識して真似てみたいものである。
ただ、日常の街中で背筋だけこんなにピンとしていたら、なんだか異常に見えるかもしれない。

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まだまだ調子は悪いが・・・

2009022001 そうそう休んでもいられないので、仕事を再開している。
目もあんまり開かないので半開きでパソコンともにらめっこだ。
誰が悪いわけでもないので、誰にも恨み言を言えないが、参ったなーというところだろう。
とりあえず、来週は仕事に追われそうだが、それもいたしかたない。
しかし、久しぶりとはいえ、毎度毎度このパターンで風邪をひくので、もういい加減今後は注意したい。
一日休めば一日遅れでトレーニングだって消化できたかもしれないのに、一日を惜しんで一週間をダメにする。
我ながらアホさ加減にあきれてしまう。
時間を惜しんでいろいろやるのは悪くないのだろうが、もうちょっと落ち着いた生活も考えないと、いろいろなところでけっこうこうなんだろうなぁ。
ま、もう一度やり直しだ。
とりあえず、風邪とはいえ3日酒も抜けたことだし・・・
それにしても注文が少なくなってきているようで、そちらも大心配。

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やっちまった・・・

私が風邪をひくパターンは、今週は忙しそうだとなると、夜遅くでも、短い隙間でもトレーニングを入れ、無理からにスケジュールをこなそうという時だ。
そもそもそういった時は疲れているので、食事もおいしくないし、タバコもうまくないので、気がつこうと思えば気がつく(大体あとになってみるとやっぱりなと思う)。
先週からの忙しさに終止符をうつべく今週もスタートしたのだが、やっぱり無理がたたった。
冬場はとくにそうなのだが、カラダが芯からあったまらないうちにトレーニングをし、終了すると汗だけ出て、余計に冷えてしまうようで、昨晩なんとなく違和感はあったのだが、起きてみたら寒いの痛いの・・・
まだ熱は測っていないが、こんなブログを投稿できているからおそらくインフルエンザではないと思うが、それでも久々のダウンだ。
ともかく早い挽回を目指してもう一度眠ろう。

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木曜日から続いた仕事ラッシュがひと段落してか、今日は思わずマッタリしてしまった。
そんなゆとりのある次元じゃないのに・・・
罰として20分走らせてやったのだが、寒さのせいかその後調子が思わしくない。
いかん、これで風邪でもひこうものなら何のための罰なのか?

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私は頑張る力が弱い

だから、こんなみっともないブログをこさえて、自分自身を励ましているのである。
頑張る力が強い人も居る。
立派だし、うらやましい。
が、私は残念ながらそんな人になれそうにもない。
なので、せめて一歩ぐらい(できたら二歩ぐらい・・・)は近づこうとし始めたのだと思う。
そう考えている今でも、しょっちゅうサボってしまっているし、メゲている。
いや、こんなブログをこさえていても、そうなのだから、何もしないとダメ人間になってしまうかもしれない。
そんな細い幹だから、余計に常々励まし続けているのである。
でも、正直なところ、頑張っている人を100とするならば、まだ小数点以下ぐらいしか頑張っていない。
ここで、偉そうなことを書いているほど頑張れていないのが、情けない。
それは運命でもなんでもない。
まだまだ甘ちゃんで、頑張る力が弱いだけのことである。

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偉そうに

こんな具合に考えるようになっているのだが、なので「格差」という問題は私にはあまり響かない。
生まれながらにして病弱な人やからだの不自由な人を見ると気の毒には思うのだが、私が全部救えるわけでもない。
いや、そんな救うなんて偉そうに言っている私だって外見上はわからないが脳に欠陥があるかもしれない。
そんなものは、もう「今」平等にしようったってできない相談なのだ。
それよか、「今」からどうするか?
それしか方法が無いと思っている。
いや、未来だってどうなるか?わかったもんじゃないというのが、ここ最近の世界恐慌で本当に身にしみた。
つまり、先々のことを綿密に計画練ったところで、全く役に立たんぐらい吹っ飛ぶこともまた「運命」なのだと思うのだ。
すれば、自分ができることは「今」を頑張るしか、努力をする場所もないわけで、それが多少なりとも未来につながると思うのだ。

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人は格差をもって生まれてくる

ただ、誰しも身近な隣近所は気になる存在で、自分との差をついつい感じさせられる。
これが今は発達しすぎた情報化社会のせいで、有名人から政治家から自分のことを「知りもしない」人の暮らしっぷりまで「気になる存在」としているところに問題があるような気がする。
総理大臣ですら「あんな総理だったら俺でもやれる」とか飲み屋で言っちゃっている人も少なくない。
酔っ払ったときのたわごとならまあいいが、これが本心であれば、相当に現実から乖離している。

人は親を選んで生まれてこないように、出生地だって選べない。もちろん国籍だって。
そうやって偶然の環境で育ってくる。
これは運命でしかない。
ただ、そこからは自分の努力で変えられることもたくさんあるだろう。
が、自分の努力で変えられないものがある。
ということを理解するのも大事なことだと思うのだ。
総理大臣になれるような人は、飲み屋ではなく、霞ヶ関か永田町で夜遅くまで仕事をしている。
それが良い、悪いではなく、そういう運命のもとに「今」があるわけで、誰のせいでもない。
「運命」と自分のせいだけだと思うのだ。
そして、運命は変えられないものだから、そんなものをいつまでも後悔しても何も変わらない。
変えられるのは自分の努力の届く範囲のことだけだろう。
なら、やれることをやる、だけであり、自分の過去や出生をいつまでも考えていたところで時間の無駄となるだけだ。
そんな気がしているということ。

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「格差」というもの

「格差」「格差」と最近はそれがものすごく問題のあることのように言う。
特に日本は一億総中流といわれた時代を経験しているから、格差には異常に敏感なのかもしれない。
が、外国と比べたって日本の格差はそれほどひどいものじゃないし、そもそも同じ人間で見るなら、アフリカの非常に貧しい国に生まれる人だっているのに、それを人類という範囲で言うなら日本人なんてほとんどが、ものすごく幸せな部類だと思う。
さらに「生き物」のカテゴリーでくぐるなら、同じ生き物として、仮にヒヨコにでも生まれたらどうだろう?
ちょっと生きただけで、ブロイラーかなんかにされて・・・さらにセミなら・・・
ま、そこまで考えると極端になりすぎるのだが、時代だってそうだ。いつの時代に自分というものが生まれるなんて、誰もコントロールできない。
誰を親として生まれるかってこともそうだ。
とすると、そこには必ず「格差」がある。
ということは「格差」なんて、必ずあって、運のようなものだとも言えるんじゃないだろうか?
私も人並みに親を恨んだこともあるし、自分の育った環境を嘆いたこともある。
で、悩み続けている今はどうかというと、「いや、自分の育った環境は悪くなかった」と思うように(思うまでは強く言い切れない)はなっている。
何故なのかはわからない。
ただ、悩み続けてきて、見えてきたことなので、そういう意味では、悩むということは決して悪いことではないように思うのだ。
人から「アンタなんか幸せなほうだよ。」と言われても、実際はなかなかそうは思えない。
一人でもがき、苦しんで、あれやこれやとさまよってこそ、たどり着ける場所があるような気がする。
おそらくどんな場所にも簡単にはたどり着けないのだ。

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宗教家ではない

こんなブログは誰も見ていらっしゃらないと思うが、毎日毎日辛気臭いことを書き記して、まるで宗教にどっぷりつかった者の心情吐露のように聞こえるかもしれないが、前にも書いたように私は特定の宗教は信仰していない。
ただ、苦労知らず、世間知らずでも運よく生きてこれたのだろう、突如うまく生きられなくなって、もがき苦しみはじめた自分をコントロールできなくなってしまったのだ。
それまでは、まあまあうまくいっていたようなので、多少の自信もあったのだろうし、うぬぼれもあったのだろう。
が、そんなもの悩みはじめてから、どんどんどんどん削られていき、心の中では何のとりえもない、何も努力できない、情けない人間にまで落ち込んだのだ。
今も尚、そんな悩みの中には居る。
が、あまりの堂々巡りに飽きてきたのか?このまんまじゃいけないという気が少しは起きてきたのか?たまたまの偶然か?
ちょっとは抜け出せる道が無いものか?模索し始めたのだ。

私は弱い。
そう自覚した。
ならば、弱いからこそ、自分を守らねばならないし、少しでも丈夫にしなければ、生き延びれない。
つまりは、自分を励ましながら生きているのである。
そんな生き方を肯定したくて書いているのかもしれない。
ただ、思い浮かぶことが、宗教っぽい言葉につながっていくのは不思議だ。
おそらく多くの宗教が苦しみや悩みの中から生まれたのだろうなぁ。

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アウトプット インプット

Shanhai 語学の学習や資格試験の講座でよく言われる。
要するに「覚えて」「使う」の両方が備わって、初めて「覚えわる」ということのようだ。
資格が欲しいから大方忠実に「ふーん」となっているが、体験が備わらないと実感はないのだろう。
本日は自分にとってはそんな感じだろうか?
今まで長いこと悩み続けているが、ピンチが訪れると「いかん」とは思いつつ、けっこう尾を引いたものだ。
そんな自分に嫌気がさしてか?はたまた微弱な学習の成果か、反省の表れか、ブルーな朝より回復して夜を迎えている。
他人にとっちゃあどうでもよいことだろうが、最近の私にはちょっと珍しいことで、ある意味悩んできた甲斐もあったというか、こういうことが「解決法」のひとつなのかな?といった気がする。
最近の暮らしは若い頃に比べてずっと地味で、仕事と家庭の往復なのだが、気の持ちようなのか「教わること」の多い毎日のような気がする。
って言うと若い頃は一体何だったんだと思う時期もあったが、若い頃だからこそ傍若無人に振舞える時期を経て、それで今の生活に順応しているのだとすれば、不幸に向かっているのではないのかな?とか思ったりして眠りにつこうと思う。
やっぱり今日も一日あっという間に過ぎた。
ただし、酔っ払いながら言うのもなんだが、最近飲みすぎである。

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とにかく今日一日はやりきった

フツーの人のフツーの一日だと思うのだが、努力と言う文字の無い生活の長かった私にとっては、たかだかこういう一日でも、けっこう貴重なのである。
夜中にタバコをふかしてフト思ったのは、「あー今日も頑張ったな」なんて一日は50年近くなるこの歳でも数えるほどだろうか?
いつも、本当にいつも、なのだが、努力するにしても、尻に火がついてからしかできない、いや、やってこなかったタイプなのである。
で、ここまで来れたのであるから、それはそれで幸せなことなのかもしれない。と。
好きなことはそれなりに一所懸命にしてきたが、やっぱり努力とは無縁であったような気がする。
だから、この歳になってようやく気がつくことが多いのだろう。
ま、朝のブルーな気持ちから、ここまで戻したのは、ただただ無謀に動いてみただけなのだが、そういうことが大事なのかな?とは思う。
またも登場する養老孟司先生ではないが、最近の人間は「脳みその中で動き回っているだけ」だから、何にも対処できないのかもしれない。
もう少しこの辺りがわかっていたらもっといい人生に・・・と思ったりもしたが、いや、何も知らずに好き勝手やれてた時代があるというのも幸せだったのかもしれんなぁ、とか思ったりして、タバコは燃え尽きた。
あとはまた明日。
私と同年代の人々は皆どう過ごしていらしゃるのだろう?とか思ったりした。

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危ない。

早朝、ひどい寝汗で一旦目覚めてしまった。
酒の呑み過ぎか、花粉症のせいかもしれないが、ここんところ鎮めていた仕事の不安材料が一気によみがえってきた。
その後わずかに寝直したものの、出勤時は気が重かった。
しかし、「ここだろうなぁ境目は」と何か感じたので、無理にでも毎日の体操をこなし、悩みが頭をもたげるたびに、「今日あってこそ明日、明日あってこそ未来。大事なのは今一生懸命がんばること。悩んでいる暇なんかない。一旦悩みはじめるとくどいぐらいそのルーティーンから離れなくなる」と言い聞かせ、昼飯も食わずに遮二無二仕事に取り組んでいる。
午後からは外回りで時間も足りなさそうだが、ともかくやれるだけやってみる。
ブログもこれぐらいで精一杯。
あっという間に一日が終わりそうだ。

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趣味

2009021501 けっこう多趣味な人生で、あれやこれやとやってきたが、今は全部中断している。
時間が無いのが主な原因だが、休日にまで時間がないのにはわけがある。
フトしたことをきっかけとしてボランティアのようなことをやっているからだ。
正しく言うとボランティアの意識はまったくない。
自分もけっこう楽しんでいる。
小さな子供らの活動に関することなのだが、これがけっこう奥が深くてハマってしまった部類なのだろう。
こちらの活動はほぼ年中無休のため、私も仕事と合わせて年中無休となってしまったわけである。
さすがに大人なので夢中といった状態まではいかないが、それでも色々と勉強になる。
勉強しに行っているつもりも全くないが、それでも勉強になる。ついつい考えさせられる。
さ、もう出かけなければ。

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最近はクタクタ

Doara 以前は晩酌をした後でも・・・いやその最中でも、仕事をしたり、作業をしたり、友人からのメールやら電話やら、活動的に取り組めたものだが、2年ほど前からはそうはいかない。
別の件で忙しいからだと思っていたが、そうばかりでもない。仕事のせいかとも思うが、やっぱりそうばかりでもない。
歳のせいはたしかにあろうが、それだけでもなさそうだ。
日中がものすごく充実していて飲んでしまうとグロッキー!なら、それもまたいたしかたないとは思うのだが、そこまで充実していると言えるほど一生懸命でもない。
ただ、時間を惜しむほどではないが、メモやボイスレコーダー等を活用し、用件を次から次へ入れているので、その消化に結構暇なしの生活であり、夕食時に飲んでしまうともう何もかもが面倒臭くなる。
それだけは確かなことなので、大事なことは飲む前にすべき・・・つまり夕食前までに済ませるというわけで、結局朝起きてから夕食までは結構忙しい。

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山から海へ

20090213umi_2 昨日の仕事は大移動であった。
通常は山だけで時間いっぱいとなるだが、この不景気である。
「もうちょっと」頑張ってみようとハンドルを切った。
そしたら偶然にも仕事がいただけた。

帰社後も何故か仕事の山。
遅くになって間違えばかりになってきたので退社。
とてもではないが、片付かないので、残して本日カバーリング。
どれもこれも準備や残務整理のようなもので、直接稼ぎになるような仕事ではないが、このご時勢忙しいだけでも有難い。
文句なんか言っていると、あっという間に暇になる。

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Swim

20093021103 久々。本当に久々だ。
昨年の夏頃から泳いでいなかったんじゃないだろうか?
ま、それまでも大して泳いじゃいないが、今週のトレーニングが早めに消化できたご褒美にスイミングを追加した。
クロ200m、平100m、背泳ぎ100mを2セット。
もうちょっと頑張れそうだったのでクロ200mを追加。
疲れたというより、なんだかとてもスッキリした。

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救済法その5

字を丁寧に書く。
私もパソコン常時利用者であって、字を書く機会は少ない。
が、機会が無いわけではない。
しかしながら、書くときはほとんど急いでいるときで、いわゆるミミズを書いている。
本人が読めるのでどうってことないが、字はどんどんヘタになっている。
書道家ではないので、「書は気持ち」とまでは言わないが、一番身近な小さな作品といえば、そうも言える。
それが、ミミズばっかりでは、なんだか「手」にも申し訳ないし、おそらく脳みその中もミミズだらけになっているのだろう。
許される時間があれば、「字は丁寧に書く」
本当にささいなことだが、絵を描く、とか彫刻を彫る、ということに比べたら、機会が少なくないだけに、何かしらの影響も大きいような気がする。
よい作品を作る姿勢の最初の機会なのかもしれない。

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救済法その4

2009021201 陽が登るのが少し早くなった。
やっぱり天気の良い朝は気持ちも良い。

次の救済法は
「身だしなみを整える。」だ。
けっしておしゃれをしなくてもいい。ただ、もうええ歳なのだ。
このあたりを勘違いされて妙に若作りをされている方もおみえになったりするが、まあ似合っていれば良いものの、人に不快感を与えている場合も少なくない。
いや、老け込むつもりはないが、周りには「おっさんだ」と当たり前のように見えているわけで、あまりにもだらしない格好や不潔に見えては「臭く」思われるだろう。
あんまり好きな言葉ではないが「加齢臭」というやつである。
「加齢臭」を感じさせるのはある意味迷惑だ。
本来あるものなので仕方ないが、それでも、ある程度ご迷惑をおかけしない心構えは共同生活を送る上での作法でもあろう。
人目を気にしない方であったがために、あんまり身だしなみに気を配ったことがなかったのだが、こう考えるといろいろなところで私は不精であった。
言えば、気を使っていなかったことがたくさんあって・・・
靴はみがいていない。
シャツはよれよれ。
スーツはくたくた。
寝癖もOK。
ネクタイには味噌汁のしみ・・・
もともとが几帳面ではないのでこれだけの改修でも毎日けっこう忙しい。
ま、外へ出ないときは一日中パジャマであったりするのだが、それはまあ他人様を不愉快にするわけではないので許されたい。

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最近こんな日が多い

2009021101今週はトレーニングを優先させたためか?仕事をかなり残してしまっている。
この不景気のご時勢にあまりにももったいないことだ。
よってせっかくの休日だが半日仕事漬け。

ま、これが明日の余裕につながるなら良しとしよう。

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スーパー銭湯

2009021001 トレーニングを開始した頃は、私のジムはもっぱら公園だった。
早朝仕事前に公園で走り、汗は水道で流した。
それは気分爽快で仕事に挑めるものの、やっぱり無理があるのだろう、よく風邪をひいた。
また、私はかまわなかったが、やはり水のみ場でカラダを洗っているのはちょいと不気味がられていたりもした。

それに反省したわけではないが、カラダのためにやっているトレーニングなのに、風邪をひいてトレーニングを中断せざるをえないというアホのような悪循環に気がついて、仕事帰りに走り、スーパー銭湯に寄って汗を流す手段に変更した。
なぜに家の風呂でないかは、通勤距離が長いために、そのラッシュ時間が非常に無駄なのだ。
だから、ものすごく朝早く、か、ものすごく夜遅く、して、ラッシュを避けながら効率よくトレーニングがしたかったのである。

今は当時ほど熱心でないし、時間も回数も少ない。
一応の目標は20分のジョギングと1時間程度のストレッチングと腕立て、腹筋等の軽い筋トレを各週に一回やれば「合格」としている。
それ以上の必要性は十分に感じてはいるが、なにせ時間がない。
それだけやれるだけでも「ありがたい」という次元である。

なんの器具も必要がない。なので私にはジムも必要がない。
そもそも飽き性の私は同じ場所に通うということができないと思う。

ただ、スーパー銭湯はいろいろと利用させてもらっている。
特にトレーニングの都合上、段差のあるところはお気に入りだ。
今回はここ。
前にも一度利用したが、そのときには気がつかなかった。
なかなかよい。
今週はトレーニングメニューの消化が早く、週の前半でもうノルマ達成だ。
が、そのおかげで仕事がたまってしまっている。
なかなかうまくいかん。

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タイトル変更(その6)

が、残念なことに学生時代ですら勉強嫌いであった私には「死ぬまで勉強」なんて大袈裟なことはできない。
すれば、ちょっとだけでも自分を元気にしてみようかな?
自分を育ててみようかな?
もうちょっと枝ぶりをよくしてみようかな?
小さな果実でも実ったらうれしいな?
ってなことを考えて、自分を栽培しようとすれば、多少なりとも生きる力が身につくんじゃないかと。
ひじょうにショボイし、今後またすぐ気持ちが変わるかもしれないし、諦めてしまうかもしれないが、今の時点ではそんなところに至ったので、本日よりタイトルも
自分栽培としてみました。
「救済法」は自分を育てるショボい課題のようなもんです。

さて、どこまで育てられるのでしょうか?

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タイトル変更(その5)

生きる力には勉強だけでなく、体力やもちろん健康といったものもあろうし、心の問題もあろう。
気持ちの持ち方次第で対処が全然違ってくるのはよくある話だ。
が、それらが理屈でわかっていたところで、急に便宜よく使えるわけでもない。
アクシデントは突然来る。
いつでも使えなきゃ意味がない。

そういうのを「心構え」と昔の人は言ったのかもしれないが、ある意味の「覚悟」でもあろう。
私に「生きる力」が足りないのは、ある意味「生きていく覚悟」が足りないということなのかもしれない。

かつての大昔なら社会も単純で、そんなに物事深く考えずとも、食うこと、着ること、眠ること、ぐらい考えていればよかったのかもしれないが、この現代社会はあまりにも複雑になりすぎて、特に都会で過ごすにゃあストレスの源が多すぎる。
残念なことに自殺してしまう人や病気になってしまう人が年々増え続けるのも、きっと「生きていく力」が枯れ果ててしまったのではないかと思う。
大昔ならそんな人間は居なかったのではなかろうか?

養老孟司先生ではないが、人間は他の動物と同じ自然の産物であり、本来は自然の中で過ごしてこそ落ち着くものなのだろう。
が、今や都会に自然はなく、人の脳みそが作り出した人工物に囲まれて過ごしているわけで、それはある意味人の脳みその中で生活しているようなものだ。
誰しもが同じ考えではないように、他人の脳みそは非常に窮屈な世界でもあるのだろう。
ゆえに、さまざまなストレスが生じるのも当然だ。

それでも私は生きていかなばならない。
ならば、ストレスなんかに負けずに生き延びるしかない。
そのために「生きる力」が必要であるならば、嫌でも身につけるしかないのだろう。
気が付けば金の有る無しに関わらず、たくましく生きていらっしゃる人は大勢居る。
皆、苦労して「生きる力」を身につけてきたのだろう。
苦労しらずの私に「生きる力」が備わっていないのは当然だ。

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タイトル変更(その4)

それでも、何もせんよりは良かったのだろう。最近は少し変わったような気がする。
ものすごく自信がないので、めちゃめちゃまわりくどい表現しかできない程度だが、ようやくうっすらとトンネルの向こうに灯りらしきものが見えるような気がしてきたが、まだまだ気のせいなのか?程度のほのかな変化である。
が、その気のせいのような灯りにたどり着く力が「生きる力」じゃなかろうか?なんて思い始めている。
その「生きる力」が私には足りなかったのだ。

世の中が複雑になったせいもあろう。
自分の年齢のせいもあろう。
が、そんなものは自分でどうにかできることじゃない。
いろいろなことがうまくいかないのをそれらのせいにしたってどうしようもないことなのだ。
いわゆる思案するだけ時間の無駄というやつである。
何の解決にも至らない。
そんなんに時間を割くぐらいなら、小さなことでも自分でできることを見つけた方がまだマシというものだろう。
自分には「生きる力」が足りなわけだから、少しでも生きる力を身につけることに時間を使ったほうが、もうちょっと楽しく過ごせるんじゃないか?
ということにようやく気がつき始めたんじゃないかということである。

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タイトル変更(その3)

39歳の頃になんとなく自分の非力さや能のなさに気がつき始めたが、その頃に自分を育てる必要があるとはまだ思っていなかった。
ただ、何となくこのままじゃあダメになるんじゃないかな?程度は考えはじめた。
とりあえず、いろいろ手を打ってみた。
生活を変えてみた。
資格試験に手を出したこともあったし、やめてしまった遊びもある。
今にして思えば当然だが、自分を教育していない=コントロールもしていなかったので、暴飲暴食がたたり、だらしない生活も手伝って太ってもいた。
なのでいっちょまえにダイエットにも挑戦した。
それらの試行錯誤でこの10年は生きてきたといってもよかろう。
それでも、つい最近までうんと悩んでいた。
飲み会でウサ晴らししても、そんな解放感は一瞬にして消え、翌日には二日酔いでよけいにネガティブになるのが日常茶飯事だった。

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タイトル変更(その2)

人間を育てることを教育というが、それは子供だけに必要なことではないようだ。
古き名言に「人間は死ぬまで勉強」なるものがあるが、それはきっと気がついた人の言葉なのだろう。
私も人間であり、人生を歩んでいるのだから、本来は「死ぬまで勉強」だったはずなのだ。
が、私は学生の頃の大嫌いな強制的な勉強期間が済めば、それで「完了!」実社会でやっていくのにそれ以上の勉強期間なんて必要性ないと思っていた。
たかをくくっていたと言ってもよかろう。
まあ、必要性を感じたとしても資格取得のような「手段」としての勉強程度で、自分を育てる必要性はないと思っていたということだ。
つまり裏を返せば、自分はもう十分に育ったと勘違いしていたようなものである。
すれば、この厳しい世の中で、立ちはだかる困難に勝てるどころか立ち向かえるはずもないわけで、いろいろな局面で「負けている自分」に気が付かなかったのだろう。
「なんで?思うようにならないんだ。」は教育を受けていない駄々っ子の「なんで?買ってくれないの。」と同じ次元だったわけで、自分でも「なるほど」と思ってしまうぐらい育っていなかったということだろう。

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タイトル変更(その1)

自分飼育でも良いのだが、大袈裟に言うと自分を教育するためにブログを利用してみようかな。ってところである。
記憶をたどれば、人並みの悩みや迷いこそあれど、大きな挫折や苦労もなく39歳ぐらいまでは生きてこれた。
が、若かりし頃の貯金を使い果たしたかのように、その後は「なんだか違うぞ」「なんで思うようにならないんだ」なんてことばかりが起こるようになった。
世の中は理不尽なものだから、その原因がわからないのは致し方ないとしても、対処ができないのである。
従って「悩む」「苦しむ」そして「逃れようとする」・・・その繰り返しのなかで、なんのことはない要するに「自分には対処する力が備わってないんだ。」という至極単純なところが答えであるような気がしてきた。

もう十分に大人なので「これ以上育つ必要はない」とどっかで思ってもいたのだろう。
が、そう思ってしまえば、ある年齢から私は育っていないわけで、もしかしたら小学校6年生ぐらいから成育がストップしてしまっているのかもしれない。
たしかに学歴はそれ以上だが、「生きていく力」は学校の授業だけで身につくものでもなさそうだ。
ならば、やっぱり大人になっても自分を育てることが必要なんじゃないか?と最近思うようになったのである。

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救済法その3

2009021001  グチらない。

グチを言わない。
悪口もそう、言い訳もそう、人のせいにするのもそう。
が、これってけっこう難しい。
「人の悪口は蜜の味」といって会話がはずみやすく、完璧に遮断すれば会話が成立しなくなる場合も多い。
また良かれと思って自分のことを謙遜しすぎてしまうとグチっぽい表現にもなる。
なので、たとえそう心に決めても、しょちゅう出てしまうだろう。

ただ、「グチを言ったところで何も変わらない。」
ということだけは、肝に銘じておきたいのだ。
何も変わらないということはつまり無駄。
時間のあるときなら、まあイチイチ気にするものでもないが、時間の無いときにまでグチっていたら、その時間何にもならんわけだから余計に人生思うようにいかなくなるだけ。
そう思うべきだろうということ。

グチる機会は会話の中に多い。
いわゆるお互いのキズを舐め合う場合だ。
まあ、活字にしてみたって例えの光景をリアルに想像してみると気色悪そうな行為なのだが、その通り、きっと気持ち悪い行為なのだろう。
かといって日々いろいろな人を話をする機会はあるし、会話を閉ざしてしまえば社会生活も成り立たなくなる。
なので、このような日本の状況では、日頃の会話はどうしてもネガティブなものが多くなっているから「話を合わせる」と、グチも多くなるのは致し方ないところもあろう。
サラリーマンにとっちゃあ上司の悪口は当たり前の日課のようなものでもあるし、ストレスの発散でもあろう。

でも、グチを言ったところで、何の解決にもならないし、自分への慰めにもならない。
グチっている時間は「何にもならない時間」ということぐらいは忘れないようにしたい。
まあ、そういえばたしかにグチっぽい人で尊敬できるような人は見たことないもんなぁ。

こう思えば少しはグチを言うことも減るだろう。

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おまけのトレーニング

2009020902 毎日の5分間体操だけが基本的な運動ノルマながら、一応「それだけじゃ足りない」と自らに優しいムチを打つべく別メニューがある。
かつてダイエットしていた当時はこちらが基本メニューであり、ダイエットできたぐらいには量もこなしていたのだが、このご時勢なかなか時間もとれず、やったりやらなかったりで、別メニューの座に滑り落ちてしまった。
今では週に3種やればよし、としているが、その一つがストレッチング、その一つがジョギング、もう一つが筋トレである。
どれもこれもトレーニングというにはおこがましいものだが、ま、体操の延長でもやらんよりまし。
として、本日はジョギングとストレッチングの2種制覇。早くも今週残すところは「筋トレのみ」となった。
案外この消化がうれしいものである。
ま、ジョギングと言っても見ている人からすれば恐らく早歩きの散歩にしか見えんだろうなぁ。

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救済法その2

200902091  本を読む。
簡単なものでよい。
今はマンガでも立派なものがあると聞くのでそれもよかろうが、私は活字のものが良いと思っている。
同量の内容を得ようとするとマンガはページ数がぶ厚くなりすぎる=持ち運びに不便=わざわざ本を読むための時間が確保できるような分際ではないので、スキ間読書の私には携帯できる本が必須なのだ。何十何巻と続くマンガなんて携帯が難しいのである。

芸能人の書いたものでもよい(ゴーストライターだとしても)
専門書でもよいが、あまり格好をつけて難しいものを読むのはかえって仕事の邪魔になるような気がする(それ自体が苦痛の種になる)。
スキルアップとか言う人も居るが、ややこしい勉強を拒絶してきたからこの程度にしかならなかったのに、今さら急に難解なものに挑戦したところで、吸収できるはずもない。
なんとなくやる気の出てくる程度で十分。
それでも十分に頭のラジオ体操にぐらいはなる。
いや、勉強というよりは、ものの見方が変わってくる。
心が豊かになる。
ような気がする。

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救済法その1

20090209 そうは思いつつも、いざやろうと思うとこれがけっこう身構える。
「簡単なことでいい」と自分に言い聞かせているのに、やっぱり何か効果を狙ったり、カッコウよくなるものを選んだり、どこかで「得」を考えてしまう。
なので、「簡単なことを」と強く限定したいぐらいなのだが、他の誰かに広めていくことでもないし、自分だけのことなので、そこまでムキになるのもなんだか滑稽で、まあ、そう深く考えずに「何か」やればいいのだろう。
その「簡単なこと」を救済法と名づけてみた。
もちろん自分を救済する方法であって、誰かに教えるというほどたいそうなものでもないし、ましてや強要するものでもない。
自分だけを救うチンケな努力なのだが、それでも思わぬ波及効果もあるかもしれない。
所詮そんな程度で、けっして大袈裟なこっちゃない。
日々忘れてしまっていることもあるし、意識してやってみようとやりだしたものの、中断してしまっていることもある。
が、今一度、ここらで思い出してみるために、思いつくだけ書き出してみたい。

まずはその一だが、
「カラダを動かす。」かな?

基本的には何でもいい。
大袈裟なトレーニングやジム通いでなくてもいい。
ジョギングぐらいまでできれば言うことないが、ラジオ体操や散歩でもいい。

私はラジオ体操を縮めたミニ体操をできれば毎日やるようにしている。
所要時間は5分程度か?
タバコを吸いながらやるときもある。
それでも、やったあとは少しカラダも温まり、ちょっと脳みそも起きてくる。
たわいもないことだが、やるのとやらないのとでは、実際やってみると全然違うと毎日思えている。

「歩いている程度」になったジョギングも週に一度はしているのだが、ま、それはこの体操の延長にあるオマケのようなものだとも思っている。
簡単なことが大切だ。
たまのウエイトトレーニングよか、毎日のラジオ体操。
いやあジム通いの人をバカにしているわけでもないし、ラジオ体操の自分を蔑んでいるわけでもない。
人は人私は私。
自分に合ったことをすりゃいいじゃん。
ってちょっとは思えてきているってことなのだろうか?

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救済の手がかり

とにもかくにも多少は能動的になってきたのは、サブプライムローンからの経済破綻のせいばかりでもない。
いや、反省しすぎてしまって、自分は何にもできない、とりえもない、としたことから、できることぐらいはやらなければ・・・いや、できることぐらいはやった方がいいかな?・・・いや、できることぐらいしかやることがない。
そんなところに追い込まれたというか、ま、それが至極当然というか、私ごときのような人間は「できることをコツコツとやるぐらいしか脳がない」と思うようになったことが大きいような気がする。

本来は小心者のくせに、調子にも乗りたがりで、まま順調であると、どんどんどんどん気も大きくなっていく。
なら、本当に図太い人間にでもなれば良いのだが、ちょっとコケると架空の自信はもろくも崩れる。
若い頃なら「逃げ道」も「希望」もまだ見えたものの、この年齢になると、それらもない。
で、結局悩みの堂々巡りに陥る・・・行動する量も時間も減っていく・・・とまあ、お決まりの悪循環になる。
で、こんな日々を繰り返していても、結局は何もない、わけですがな。

ぐらいなら、(ぐらいならと思えるところまで行き着くには私の場合は相当時間がかかる)
何かできることを一つでもした方がいいんじゃないの?
というところ。
何か一つ。
というと「会社の前を掃除する」なんて、よくある経営者講習会で言われそうなものだが、そんな慈善的なことでなくてもよい。
例えば「1日10円貯める」なんてことでも十分。
何もやらんよかよい。
それが一番の基本として、とにかく、何でもよいから、できることをやっていこうかな?と思い始めた。
大きな変化は何もないが、少しだけ地面に足がついたような・・・気がしている。

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小心者

こういった日常を繰り返し、フト気がついたら、トンネルではなくなったのかな?
といったところまで出てきた・・・ような、まだまだそうでないような、混沌とした位置までは出てきたような気もしている。
非常にまどろっこしい言い方だが、そうは簡単に自信は持てない。
単純に晴れ晴れとしてしまった方がいいのかもしれないが、小心者の私は簡単にいい気になって浮かるほど、すぐに沈んだりするものなんだと思えてしまうので、まだまだ用心深くしたいのだ。
そもそも浮かれていられるほどになったわけでもない。
具体的には何も解決していないわけで、ともかく「頑張ろうかな」と思いはじめてきているだけで、浮かれている場合でもないし、そんな次元でもなかろう。

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習慣化

無計画に・・・
と言ってはいるが、本当の無計画ではなかなか仕事は消化できない。
ある意味合理的に効率を考えないと進捗が2倍も3倍も違ってくる。
こんなことも身にしみたのだろうか?
メモをとる、予定を組む、予習をする、寝てても考える、整理整頓する・・・そんなことがけっこう身についてきた。
当初のことを思うとかなり効率よく片付けられるようになってきたのはその習慣のおかげだろう。
今まで多くのビジネス書に書かれていたようなことだが、頭の中だけでわかったことはやっぱり実行には移せない。
本当に必要に追われてはじめて使うものなんだという思いだ。
忙しかったわりには、不思議と机の中やロッカーが片付いてきている。
多分そうしないと、仕事のスピードについていけなかったからであり、やっぱり必要にせまられてそうなってきただけのことなのだろう。
目標はポジティブではないのだが、結果に追われてポジティブな行動になってきた。
ま、それはそれでいい。

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きっかけ?

立ち直るなんてところまでは全然至っていないが、方向転換したきっかけは、忙しくなったことだ。
不景気ばかりでなく、会社の事情もあって、暇を作る余裕がなかったというか、暇を作ったらやることがたまる一方になってしまった。
だから、少しの暇をみつけても、片っ端らから片付ける。
計画なんかない。
ものすごく幼稚な方法かもしれないが、ともかく片っ端らから・・・
そうしないとやっていけなかっただけのことである。
すれば、帰宅後はぐったりで、毎晩酒盛り、タバコも復活した。
はじめは「「運が悪いな」と思っていた、今までの行いでそういう境遇に至ったと思っていた。
いわゆる「バチが当たった」というやつだ。
が、今はそれで良いかな?と思っている。
二日酔いの日もあるが、それでぐったりしていられない。
二日酔いでも頑張らなければならない境遇となってしまった(ま、これはもともと当たり前だが、目に見える姿勢としても)。
そうして考えてみると、ま、カラダにも精神的にもいいことではなかった酒やタバコばかりが悩みの原因ではなかったようだ。
ウダウダと頭の中だけで考えていると、結局現実は見えてこないのかもしれない。
もちろん酒やタバコはやめた方がいいに決まっているが、まあ、今は二の次。
にしときましょう。

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久々に登場

長いトンネルを抜けてみたら、もうちょっと晴れ晴れするものかと思っていた。
いや、いっそ勘違いでもいいから、晴れ晴れとしてしまった方が良いのかもしれない。
が、トンネルの中に居るという印象はなくなったものの、悩みが解消され、スッキリとした生活を送っているわけじゃない。
でも、ちょっと頑張ろうと思うようになっている。
いや、頑張らないと生きていけないし、多分つまらないんじゃないかと思うようになってきた。
いつまで続く心境か自分でもわからないのだが、悪戦苦闘しているうちにこうなってきた。

昨年の最後の記述にもあったように、反省したり、悩んでいたりするだけでは堂々巡りで時間の無駄。
頭の中の作業だけでは、何も解決しないし、進まない。
だったらブログを書く前に、私の場合はやるべきことがあるんじゃないかと・・・。

奇しくもそんな折に「不景気」の大合唱になってきた。
今日までのいきさつは、もう毎日のようにマスコミを賑わせている。
妙な話、尻に日がついてしまって、私も悩んでいる暇がなくなってしまったのである。
そして気がついたら、ブログを書いていたことさえ忘れていた・・・

この3ヶ月間は自分としてはある程度遮二無二過ごしてきた。
まだまだ甘ちゃんだとは思うが、私にすれば珍しいことだ。
それは「100年に一度」と言われる景気の減速に後押しされている部分がたぶんにあるのだが、まあ、きっかけは何でもいい。
ともかく、じっとしておれなくなった。
精神的にというよりは経済的に。

こうなってみるとちょっとわかったような気にもなったりするのだが、まさに「悩んでいる暇」がないのである。
「暇がないと悩んでもいられない」のだ。

これまでのブログの長々とした文章は誠に恥ずかしいのだが、ある面「暇」の産物でもある。
ここは自分の正直な気持ちを吐露する場としているので、もし見られている方がおみえなら、いつまでもグジグジした女々しいヤツだとお思いかもしれないが、それが正直な自分なのだから、
それらも正直な私の一面である。
本当は消してしまいたいぐらいだが、消してしまったり、違うブログでやり直せば事は簡単だ。
が、「全部ひっくるめて」私なのであって、当分はそれらもひきずりながら生きていくのがよいのではないか?

今もブログを更新する暇さえないようにするのがいいと思っている。
実際はそれほど忙しいわけではないが、その時間にいろいろやれるだろうと。
が、悩んでいく課程があれば、立ち直る?課程もあるのだろうと・・・
それをちょっと記していくのもいいかな?
なんて、思いはじめている。

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