誰だって、日本がこのまま枯れていくなどと思いたくはないし、それはあまりにも後ろ向きの考えだと指摘する人も多いだろう。
いや、たしかに一人一人の力は少なくとも、みんなが後ろ向きに考えるようになったら、下る速度に加速度がついて、もっと早くに枯れてしまわないないか?と心配する人も少なくないだろう。
それも間違った見方ではないかもしれない。
が、いくら前向きな姿勢が大切とはいえ、「下っているもの」を「登っている」ように見せかけたり、「登っている」と信じ込もうとするのは、「見誤ったままつきすすむ」ことにはならないのだろうか?
根性論がすたれて久しいが、柳の枝に飛びつける力の無いカエルは前向きに100回飛んでも届かないのであり、いや、もっと正確に言うなら、「前向きに」挑戦して100回飛んだら疲れ果てて死んでしまうはずである。
「逆らえない運命に従う」ということが、ムダな努力や無理でも挑戦することをしないことではないだろう。
が、また「疲れ果てて死んでも」いけないのである。
下り道が「避けられない運命」であるのなら、前向きに考えたところで、登り道を作ろうとして疲れ果てることではないだろう。
個人としてできることは、幅広い視野をもって、聞き耳を立てながら、迷わないよう、足をとられないよう、用心深く、最適な道を見つけながら、
できるだけ暗くならないように。(できることなら楽しく)
できるだけ傷つかないように。
できるだけ失敗しないように。
山頂を制覇するといった大きな目標は無いかわりに・・・
野に咲く小さな花に感動したり、
下り道だからこそ見えた景色に感動したり、
少しずつ元の場所に戻ってくる安堵感を感じたり、
そこには待っている人が居ることにしみじみとした嬉しさを感じたり・・・
下り道にも楽しみはあり、下り道ならではの過ごし方がある。
下り道を登り道のように進もうとするから、病的な現象が増えているのではなかろうか?
私は自分の人生でさえ、完全に下り道に入っている。
その若さで「年寄りじみたことを言うなよ。」という人もみえるが、多分そういった方々よりはトレーニングもし、多少の勉強もし、若さを保っているはずである。
つまり別にフケ込んでいるつもりはない。
でも、それで自分の年齢が「下り坂」からははずれるものじゃないし、時間的に若返るはずもない。
毎年毎年年老いていくようになった年齢であれば、これから成長の一途である時期とは「全く違った考え方や生き方」があっても何の不思議でもないし、その方が楽しく楽に生きられることもたくさんあるのではないだろうか?
と思うのだ。
簡単に言ってしまえば、「開き直っていくこと」なのかもしれないが、それはそれでそう簡単なことではないでしょう?
それぐらい「下り道」だって前向きに考えていかないと難しいものだろうし、それなりの「やりがい」がそこにはあるような気がしている。
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