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2008年8月

日経ビジネスもプレジデントも良いが

それらに読みふけるというのは、実は「大きな問題」を避けて、自分に危害の無いところで「一生懸命努力している」ことを自分自身に言い訳している作業じゃないのか?とフト思った。
大事なことはそれらを熟読することではなく、現実に降り注いでくる仕事の難問を一つ一つ解決していくことじゃないのだろうか?
そういう点では、それらの雑誌をだんだん読まなくなり、未読の本がズラリと並んだ書棚は、私が多少は「健全な思考」ができるようになった証なのかもしれない。
しかし、50冊以上あるこれらの未読の雑誌をいつ読もうかしら・・・

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本棚にズラっと並ぶ

未読の日経ビジネスやプレジデントの雑誌を見ると、「オレでも仕事に邁進しようと努力しかけた頃があるんだなぁ」とは思う。
もとよりビジネスの世界は得意ではなく、おそらく福祉や教育といった仕事に向いているのだろうと自分でもうっすら思ってはいたが、その手の仕事じゃあ年収UPの期待は持てなかろうと見切ったいきさつもある。
へんな話興味より金を優先したわけだ。
こんなことは資本主義社会に生きる人々にとっては当然のことなのかもしれないが、その資本主義の悪い面が目立つ現在、なにかしら生き方を間違えてきたような気にもなる。
まあ、今更どうにもならないことも多いのだが、仕事以外の時間でこれらの本を読もうとする強迫感も病気といえば病気のように今は感じられる。

たしかに仕事はマジメにしなけりゃならんだろうし、人より勉強もしなけりゃ勝ち残れないだろうが、その尺度は何だろうという気にもなる。
ここに大きな問題がある。
それを解決するのは相当な覚悟と時間が必要だ。
だから逃げているとも思われたくない。
そして、簡単に解決できる本筋とは全然違うことをやって、自分も頑張っていることを見せつけようとする。
・・・こうなってしまうと、その頑張りは問題解決のための頑張りではなく、自分がサボってはいないこと、逃げてはいないことを見せ付けるためだけの、「言い訳行動」にしか過ぎない。
それでも構わないのかもしれないが、「大きな問題」はひとつも解決しない。

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あんまり長い目標は得意でないので

とりあえず自分なりの未来予想図を考えてみると、あと8年。
あと8年は「仕事第一」の期間になるのではなかろうか?
もちろんそれまで辛抱できないかもしれないが、8年ぐらいは辛抱してみたい。
56歳になっている。
健康であれば、それからだって釣りも波乗りも十分に楽しめる。
いや、それまでだって「やれない」わけじゃない。
あくまでも第一が「仕事だ」ということだけなのである。

8年間無事に仕事を続けられれば見えてくるものがある。
いや、年金等の事も考えるとそれ以上、いや、17年後まで「仕事第一」で居られるものなら居たいのだが、この日本の状況でそこまで予定するのは、あまりにも不確実すぎる。
それを考えてとりあえず「8年頑張ろう」という線なのだ。

もちろん8年頑張ろうとしても、それが許されない場合もある。
失敗というより、運もある。
1年でダメかもしれない。
その準備も進めながら8年の完走を目指すのだ。
8年でなくても、今年より来年、来年より3年後、3年後より5年後と・・・1年でも多く仕事第一で居られるよう、しばし頑張るときなのかもしれない。

簡単に言ってしまえば、頑張れるだけ頑張ることである。
その結果は神のみぞ知ると言ってもよかろう。
ひょっとしたら来年から趣味に没頭するような生活になってしまうかもしれないし、17年間「仕事一筋」になってしまうかもしれないが、それは同じ努力でも「運・不運」でもきっと変わってくることなのだ。
だから、運がよくても悪くても・・・転がった先に後悔しないように、やれることをやっておこうということなのかな?

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それに反省しているわけじゃないが

まあ神様の思し召しは「たまには仕事をやれ」ということになったのだと思う。
もちろん今までだって仕事はけっこうマジメにやってきたと思っているが、「仕事を第一にしろ」という時期が来たのかしらとは思う。

釣りはわかりやすいが60歳からでも絶対できる。
波乗りは難しいだろうが、これまでの経験から、中途半端に行くよりはトレーニングに励むことでかなりブランクは挽回できる。
仮に仕事を60歳で終えたとしても、どちらも楽しめないわけではない。
むしろ今中途半端に仕事をし、60歳からもまた遊べない生活になるぐらいなら、アリとキリギリスではないが、今頑張りどころなのか?と思ったりする。

あとは子供たちのお手伝いである。
もともとはなんのお手伝いもしていなかったぐらいなので、別に過保護でもなんでもないのだが、お役に立てることならば、趣味よりもそれが第一かな?と思ってはいる。
今回の部活動参加でそれが本当によくわかった。
これがなければ今頃バラバラの家庭だったかもしれない。

趣味は逃げていかないが、子供は成長し、やがて私のもとから離れていく。
となれば、子供はいつか逃げていくものであり、逃げていく前にできるだけのことはしておきたい。
それが趣味?になっていくのかもしれない。

まあ、娘どもとていつまでもオヤジにつきまとわれちゃうっとおしかろうで、そのあたりでこの趣味も終焉を迎えるのだろう。
少し寂しいが、そしたら、また、自分のやりたいことをすればよい。

そういうことに余裕が持てるのも、あと数年間の努力が大きく左右するように思う。
もちろん努力が報われるような甘い世の中ではないから、失敗したり、挫折して想定外の路線に進まざるを得ないかもしれないが、それでも、やれることをやっておけば、やっぱり後悔はしないのではないだろうか?
となれば、やっぱり「仕事第一」の時代になるのかな?と思ったりする。

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でも

波乗りや釣りが悪いと言っているわけじゃあない。
こんなことでも、やっぱ人は人、自分は自分、と思うだけなのだ。

私と同じような年齢でも、波乗りも、釣りも、仕事も精力的に楽しんでいる人もいる。
いや、仕事はイヤイヤだが、趣味だけは大切にしている人もいる。
どれが良くてどれが悪いのか私に言う資格などない。

ただ、私は私にしかない境遇があり、仕事があり、家庭があるのだから、誰かと同じように考えることがオカシイことにようやく気が付いてきたということだ。
私には私にしかない仕事のやり方があり、趣味との付き合い方があるというものだろう。

釣りも波乗りもしないというと、ストイックな生活を送っているようだが、42歳ごろまでは、ほぼ毎週遊んできたのであり、すでに幸せな部類だ。
その後とて、資格試験の受験勉強等ははさんだが、部活動の手伝いというものの、結果はよほどか感動する趣味を超えたぐらいのものを体験している。

いわば、十分に遊んできたとされても何も文句は言えないご身分でもあろう。

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とは言うものの

今は釣りだの波乗りだの趣味のことをあんまり考えられない。
下の娘がお手伝いをしてきた部活動を卒業すれば、ちょっとは心境も変わるかもしれないと思っていたが、全然そんなことはなかった。
つまり、私が釣りや波乗りをやめているのは、部活動のせいではなく、ほかの何かのせいだったということだ。

ほかの何かは仕事だろう。
私とてかつては、大富豪いや、小富豪ぐらいになる夢も描いたこともあるし、それがダメでも安定した収入と余裕ある老後の世界ぐらいは想定していたのだが、それが、全く予想通りにはならなくなったからだ。

仕事というか人生かもしれない。
今の日本、多くの人がそうかもしんないが、お先がほとんど見えない。
全然大丈夫な人も居るようだが、そんな漠然とした不安が見えている状態で気楽に遊べるほど私は太っ腹ではない。

だから気楽に遊べない。

そんなんじゃ煮詰まって病気になっちゃうよという人も居るが、遊びに逃げ込んでダメにしてきたことも多いのは、自分で経験してきたつもりでもいるから、また同じようなことを繰り返す気にはなれないのだろう。

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対極

カレはおそらく何も言わない。
見下したような目で睨んで去るだけだろう。
何度もそういう態度をされてきた。
少なくともカレにそのような態度をされるおぼえはないし、いや、むしろオレのが頑張っているんじゃないの?と思うことのが多いのだが、カレは見下していく。
価値観が全然違うのだ。
仕事や性格なんかカレの評価の対象にはないのだろう。
今熱中していることにどれだけ一生懸命であるか?
競い合えるぐらい熱くなっているか?
誠にカレに都合の良い理論なのだが、その都合の良さがカレなのである。

善い悪いはこの際どうでもいい。
ただ、カレのその判断力は身勝手だからこそ、どこにも媚びることなく、言い訳の多くなった大人たちがグサっとやられるのである。
なんだかわからんが、30年を経て私はカレの対極に来ているような気がした。

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インプレッション

N氏との生活はそれほど長いものではなかった。
実質2年も無かったのではなかろうか?
が、ほとんど毎日一緒に過ごしており、ある意味舎弟でもあったので、そりゃあ中身の濃い期間であった。
人との付き合いを時間と濃さで現すなら、よほどの仲の良い友人とて、30年分ぐらいの付き合いを例えるなら、一挙にそれを一年で過ごしているぐらいの濃さがあった。
当然影響を受ける。
いや、若い時など、映画の主人公ではないが、尊敬できる人や強烈な人格に影響を受けることは誰しもあろうが、まともに影響を受けた。
今思うと私とは正反対の部分も多い人だが、背伸びをして「なろうとした」部分もある。
それも嫌な思い出ではない。
が、やがて私はもっと世間で言う「まっとうな道」に進むことになる。
カレとは離反していくし、カレのような行動は取れない世界にはまりこんでいく。
カレの生き方は私の世界では「夢のよう」な存在になっていった。

そして30年近く経ったわけだ。
画像の中のカレは私の友人が言う「カレの臭いが相変わらずプンプンしてくる」ようだった。
とても社会に適応できるような人ではないと思うし、その後の生活を聞いても波乱万丈のようだが、画像の中のカレは歳は取ったが、ある意味「昔のまんま」なのだ。
カレとてもう4,5年も経てば60歳である。
そんな年齢になってまで、「彼の臭いがプンプン」とは羨ましい限りであり、やっぱりカレだなと思うと嬉しくもある。
そして、今、そこまでのバイタリティの無い私を見たらカレは何と言うだろう?

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N氏

そんな折に私の波乗りの師匠の現在の姿の知らせが届いた。
N氏と称しておこう。
カレの事を書き始めたら、そりゃあ一日や二日で済まないほど多くのエピソードの残している人物だ。
いろいろあって消息を絶っていたというか、私が消息を絶っている。
それで良いと思っている。
が、懐かしくないわけはない・・・

私が初めてお会いしたのは19歳の時だ。
まだ、しっかり憶えている。
当時流行りのサーファーのスタイルであるものの、眼光鋭く軟弱ではない。
体つきはスマートで大してごっつくもないのだが、とっても威勢の良い人であった。
の一方でどこかしらセンスが良く、決して美男子ではないのによくモテた。

私は19歳といっても高校卒業したばかりである。
イモ臭い私の前にこんなハイカラな兄ちゃんが突然登場したのであるから、私は途端に影響を受けた。

サーファーという人々を知らなかったわけじゃない。
当時はリーゼントから途端に長髪になっていた人も珍しくはなかったので、そんな先輩も見ていた。
が、全然違って見えたのである。
どうしてかはわからない。
ただ、何の先入観も理屈もなく、見た目「違う」と思わされたのだ。

カレが催眠術を扱えるような人物でないのは、その後しっかりとわかるのだが、だからこそ、とても強いファーストインプレッションを放っていたということであり、それぐらい私の人生に突如として影響を与えるようになった人なのである。

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気軽で器用なタイプ

娘達の部活動参加は実質3年だが、その前にも応援には出かけていたし、上の娘が参加してからは家族の話題はそればかりだったので、5年は過ごした気になっている。
また、この5年間は仕事上やプライベートでも変化の多い時期だったので、今まで生きてきた中でも一番たくさん悩み、たくさん考えた時期でもある。
言い方は失礼だが、「オチオチ遊んでいられない」と思うことが本当に多くあり、趣味や自分だけの楽しみに没頭できないばかりか、自らどんどん排除していった(そうしないと時間が確保できないから)時期でもある。
そして終わろうとする部活動の次を考えてみたら「他には今現在何もやっていない」ことに気付くわけである。

決して親である身分のものが「遊んでいけない」とか「自分の趣味を持ってはいけない」と「家族を交えない楽しみをもってはいけない」と考えているわけではない。
いや、私根は案外生真面目なので、「人はそうであってもよいが、自分は仕事と家族のために専念しなければならないんじゃないか?」という戒めのようなものを感じ、あんまり自由に遊ぶのは実は「うしろめたく」感じるというのはある。
いずれにしろ大した思い込みではないが、気軽に遊びに没頭できる人種ではなく、実はちょっと堅苦しい。
私を見かけだけ知る人は意外に思われるようだが、本人はこう考えています。

そんな私なので、いわゆる「趣味もできる人間は仕事もできる」とか言われても、そうあれやこれやと器用にはできない方なのだ。
この5年間と間もなく終焉を迎えるであろう娘どもとの部活動を目前にして思うのは、私は「気軽に器用に何でもやってみる」ようなタイプではなかったということだ。

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自分の時間

ただ、本当に不思議ではある。
あれほど大事にしていた自分の時間へのこだわりはどこへ行ってしまったのだろう。
女房、子供などくそくらえとまではいかなかったし、平日にはけっこう優しいパパであったのだが、それでも週に一回の自分の時間とそのための準備の時間、つまりは自分の趣味や楽しみに対する時間を邪魔されたときの怒りはただものではなかった。
言い争いを過ぎて女房もよく呆れていた。
何がそれだけ執着させていたのか今となっては自分でもよくわからないのだが、ともかく週に一日は「自分の日」がなくては気が済まなかったようだ。
いや、ちょっと思い出してきたが、一日ではなく、二日でも三日でも欲しかったのだが、さすがにそこは我慢をしての「一日」だったから、よけいに譲れなかったのだろう。
そこまでしてやりたかったことが「今はない」。
その状態が自分でもものすごく不思議なのである。
まあ、そんなことを「不思議」に感じている暇がこれまでは無かったので、あえて疑問にも思わなかったのだが、「子供らの卒業」「監督の退職」と部活動参加への終焉が見え始めてきて、「その後はどんな生活になるの?」というところに気がつき始めたのだろう。

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もう少し早くからお手伝いができていたら・・・

今では「昔からこうしていれば良かったのかなぁ?」なんて時々考えたりもするが、正直いくらわが娘とて幼稚園児や小学校低学年の競技を見て「真に感動する」ことは無かっただろうなぁとは思う。
別にそれが親として冷たいとは思わないが、それで面白いなら、観客も集まろうもので、そういったことが流行らないのは、やはり「内輪の楽しみ」から出ない領域で、さすがにそんな年齢ではスポーツとしてはきっと「見るに耐えない」レベルなのだろう。
いわゆる「身内だけが興奮する」レベルなのだ。ヨソ様の子であれば別かもしれないが、ウチの子はそうだったのだろう。
であれば、昔から今のような生活でなかったことに対する後悔をすることもない。
ただ、その後の展開から身勝手に言わせてもらうなら、「もう2年早くに小学校の部活動のお手伝いをし、一緒に参加してきたら」、また違っていたように思うのだが、まあ、それも「今」という結果を踏まえているから言えることであり、当時はそんな気持ちではなかったのだろう。
うん、現に2年前にお手伝いを始めていても、他のスタッフや監督さんとも仲良くできなかったかもしれないし、ましてや他のご家庭のわがまま(失礼)なお子さんのふるまいに我慢し切れなかったかもしれない。
肝心なわが子との共同戦線の前に「リタイヤ」していたかもしれない。
それぐらい、私は協調性やこらえ症がなかったし、ちょうどその2年間と手伝いだした次の一年間の計3年間に本当にいろいろなことがあり、こんな私でも多少は家庭や子供のことを省みるようになったのだから、残してきた結果が全て「最善」だったと思っていれば良いのかもしれない。

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今度は上の娘の部活動の大会

そんな折、上の娘の方の部活の大会が開かれて、どうにも仮のキャプテンになったらしく、応援に行くハメになった。
その日最後の試合はけっこう壮絶で、大差がついていたところを逆転勝ちをして次の試合につなげた。
娘の部活動の経験はいろいろと豊富な方と思うし、今までもかなり壮絶な試合を見せていただいてはいるが、「極めて」の部類に入るのだろう、皆大泣きしていた。
娘のチームは新チーム。相手はどうやら1級上のようなので、また、それも厳しかったのだろう。
こうしてみれば、自分も参加している下の娘の部活動ではないが、それはそれで、やっぱり面白い。

もともとはこんな娘の応援団のようなオヤジではなく、何が何であろうと、まずは週に一回は必ず自分の趣味に邁進していたのだが、変われば変わるものである。
自分の体力が落ちてきているというのもあるのかしら?
娘らとて、も少し大きくなると、もう応援の機会すら無くなるような気がしているのかしら?
遅まきながらもようやく自分に親という気持ちが芽生えているのかしら?

女房とけんか腰になりながらも、あれほどこだわってきた自分の楽しみの時間が今はほとんど無い。
まったく無いに近いぐらい無い。
が、決して不幸な状態ではないし、不満でもない。
むしろ充実した毎日が送れている。
それは予想しなかった人生だけに余計に不思議だ。
それを「変わった」というのだろうか?

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上の娘が妹の部活動に久々にやってきた

つまり姉の方であるが、姉は随分とレベルが高く、いわゆる半指導者として時々来てくれる。
今は自分も違う種目の部活動をしているのだが、それは小学校の時の種目の部活動が無いからであって、本当にやりたいのは小学校のときと同じ部活動ではある。
ま、それは仕方の無い環境として我慢しているのだろう。
で、ときたま現われてはお相手をしてくれるのだが、これが紅白戦ともなるとちょっと困るのだ。
つり合う相手がなかなか居ないためである。
そうなると、仲間はずれではないが、ウエイティングとなってしまう。
今回は登場した時間も遅く、見事にウエイティングになってしまった。
張り切って来てくれたことはウェアを見ればわかる。
それで「待ちぼうけ」なのだから、寂しくないはずがない。
私も相手ができるものならしてやりたいが、あいにく紅白戦の審判をしている最中だ。
できれば見学している大人が相手をしてくれると有り難いのだが、紅白戦が盛り上がっているため、皆そちらに熱中している。
正直「困った」のだが、同僚にお願いし、審判を代わってもらい、私が相手をし、上級向けの練習を開始したので、ご機嫌を取り戻したようだ。

ささいな出来事である。
しかし、なんだかちょっと未来をも予言したような出来事であった。
家庭であれ、部活動であれ、私が必要ないのなら、そのようにすればいい。
でも、必要とされる場面があるのなら、どちらも今まで同様頑張るうようにすればいいのだが、「どうしても」という場合はやはり家庭なのかな?という気はしてきた。
今まではいい。「部活動への頑張り=家庭への頑張り」だったので、大して迷うこともなかったからだ。
が、これで妹も卒業となると、やっぱりそうではないことが、ちょこっと現実として見えた瞬間であったような気もする。

姉妹ともども、今のところは中学校では他の種目に転向しても、高校ではもう一度小学校のときと同じ種目をやりたいらしく、そのためにも小学校の部活動と縁を切るわけにもいかないので、そちらも引き続き望まれればやるのだろうが、自分の子供の成長とともにスタンスは変わっていくのも自然なのかと思った。

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下りの楽しみ

誰だって、日本がこのまま枯れていくなどと思いたくはないし、それはあまりにも後ろ向きの考えだと指摘する人も多いだろう。
いや、たしかに一人一人の力は少なくとも、みんなが後ろ向きに考えるようになったら、下る速度に加速度がついて、もっと早くに枯れてしまわないないか?と心配する人も少なくないだろう。
それも間違った見方ではないかもしれない。
が、いくら前向きな姿勢が大切とはいえ、「下っているもの」を「登っている」ように見せかけたり、「登っている」と信じ込もうとするのは、「見誤ったままつきすすむ」ことにはならないのだろうか?
根性論がすたれて久しいが、柳の枝に飛びつける力の無いカエルは前向きに100回飛んでも届かないのであり、いや、もっと正確に言うなら、「前向きに」挑戦して100回飛んだら疲れ果てて死んでしまうはずである。
「逆らえない運命に従う」ということが、ムダな努力や無理でも挑戦することをしないことではないだろう。
が、また「疲れ果てて死んでも」いけないのである。

下り道が「避けられない運命」であるのなら、前向きに考えたところで、登り道を作ろうとして疲れ果てることではないだろう。
個人としてできることは、幅広い視野をもって、聞き耳を立てながら、迷わないよう、足をとられないよう、用心深く、最適な道を見つけながら、
できるだけ暗くならないように。(できることなら楽しく)
できるだけ傷つかないように。
できるだけ失敗しないように。

山頂を制覇するといった大きな目標は無いかわりに・・・
野に咲く小さな花に感動したり、
下り道だからこそ見えた景色に感動したり、
少しずつ元の場所に戻ってくる安堵感を感じたり、
そこには待っている人が居ることにしみじみとした嬉しさを感じたり・・・

下り道にも楽しみはあり、下り道ならではの過ごし方がある。
下り道を登り道のように進もうとするから、病的な現象が増えているのではなかろうか?

私は自分の人生でさえ、完全に下り道に入っている。
その若さで「年寄りじみたことを言うなよ。」という人もみえるが、多分そういった方々よりはトレーニングもし、多少の勉強もし、若さを保っているはずである。
つまり別にフケ込んでいるつもりはない。
でも、それで自分の年齢が「下り坂」からははずれるものじゃないし、時間的に若返るはずもない。
毎年毎年年老いていくようになった年齢であれば、これから成長の一途である時期とは「全く違った考え方や生き方」があっても何の不思議でもないし、その方が楽しく楽に生きられることもたくさんあるのではないだろうか?
と思うのだ。

簡単に言ってしまえば、「開き直っていくこと」なのかもしれないが、それはそれでそう簡単なことではないでしょう?
それぐらい「下り道」だって前向きに考えていかないと難しいものだろうし、それなりの「やりがい」がそこにはあるような気がしている。

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栄枯盛衰

このあたりを二人の作者は上手に解説していると思えた。
二冊平行読みなので、どちらがどちらか分別ついていないのだが、合わせて(両先生方誠に失礼!)「なるほど」だったのである。
今起こっている数々の現象だけとらえて「病的な国」と断定するから、対処の仕方も「病的」になってしまうのであって、「運命」ならば対処の仕方ももう少し違ってくるものなのか?
そこらあたりに私は自身は無いが、興味はものごくある。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」といったブラックな標語があったが、「下り道みんなで下れば寂しくない」とでも言おうか、所詮人間なんて弱いもので、そういったことで救われることは少なくない。
日本がこのままどこまで落ちぶれていくのかは知らないが、中国なんてその連続の歴史だし、かつての大国が成り下がっている例などいくらでもある。
ポルトガル、スペイン、イタリア、トルコ、ペルシア・・・等々皆その時代の日本どころではない、世界制覇をしたほど隆盛を誇った国々だ。
現在はどうなの?と言いたい。
不思議と皆サッカーの強い国なのだが、サッカーと観光がメインの国になってやしないか・・・
急激に復権してきたロシアとて、ついこの前崩壊し、多数分裂してしまった国なのだ。
栄枯盛衰は国の運命であるとともに人間の運命でもあるのだろう。
ただ、時代の瞬間にしか存在しない人間には、それがわからないのだ。

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運命

バブル崩壊以前までは日本は「登っていた」。
世界大戦で壊滅的な打撃を受けたものの、まさに焼け野原から立ち上がり、すばらしく豊かな国に急成長した。
そりゃ立派だが、完全なる「登り道」でもあった。
とするなら、いつかは下り道がやってくるということにもなる。
「いやいや、そんな早くはやってこない」と楽観したい向きもわからんじゃないが、そのスパンの長い短い早い遅いは最中に居る人間にはなかなかわからないものだし、コントロールできるものではない。
つまり、知らない間に「登り道」だし、知らない間に「下り道」なのだろう。
私は戦争経験者ではないので、明言できないのだが、戦争を開始するときは、多くの人が「勝利を予感」するのだろう?太平洋戦争のときなど、「敗戦は目に見えていた」と後々言う人も居るが、それでも、「ひょっとしたら」勝てるかもしれないと思ったりしたことはあるように思うのだ。
でなければ、負けたら「死」と隣合わせなのである。そんな前途が見えていて戦争をできるのだろうか?
特攻隊の話も数多く残っているが、それとて「自分は死んでも家族は、日本人は、天皇陛下は生き残る」という希望があったのではないかと思うのだ。
つまりは短いながらも「登り道」であり、ハイな状態だと推測もできる。
が、結果敗戦となるのなら、途中どっかで戦況が反転するはずである。
そう、「下り道」の始まりである。
そんな「登り下り」個人でコントロールできるものなのだろうか?
だから「運命」で片付けなければどうしようもないことが、この世にはたくさんあると思える。

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鬱の状態になると

「私の努力が足りないから・・・」「私ばっかりに不幸が集中して・・・」などと考えるようになるらしいのだが、日本という国が下り坂にあって、どんどんどんどん貧しい国になっていくのであれば、そんなもの個人の力でどうしようもできないことではないのだろうか?
いやいや、そのための選挙だとか、そのための民主主義だとかいう机上の論理にフタするなら、相当のスーパーマンでなければ、いわゆるフツーの人なら、個人の力ではどうしようもない「国の運命」であろう。
過酷な運命で例に出したくはないのだが、原爆などその象徴のようなもので、ものすごく良心的な人も、ものすごい努力家も、ボタン一つで「消し去られてしまった」のだ。
その人たちに何の足りないものがあったのだろうか?
残念だが、歴史を振り返っても、個人の努力ではどうすることのできないものがいつの時代も必ずあり、だからこそ「運命」として特別扱いをしてきているように思う。
その日本の運命が「下り坂の時代」にあるということだ。

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祇園精舎の鐘の声

で始まる平家物語はいろいろな場面で私の人生訓ともなっている。
中でも「おごれる者は久しからず」というくだりは、48年の人生にして、他人だけでなく、自分も見事なほどに当てはまった経験がある。
ただ、人の人生など短いもので、国や歴史上のできごとに比べたら、「一瞬」と言ってよいほどの命だ。
なので、「栄枯盛衰」を自分の身体以上に感じられる経験はなかなかできない。
簡単に言ってしまうなら、発展していく国の途上に生まれ、上下はあるにせよ、ずっと発展していくその途上で一生を終える人は決して少なくないだろう。
逆に、決して悲観することなく、暗くなることもなく、前向きに生きているが、実は「ずっと下り坂」の国で一生を開始し、終えていく人も同じ数だけ居るのではないだろうか?
そう考えるなら、それはもう、運命としか言いようのない現象である。

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鬱の人が急激に増えたという

ストレス社会とか言われたりもする。たしかにそういう原因はあるのだろうが、ある意味バブル崩壊以前とて「ものすごく忙しく受験戦争さえ厳しかった時代」なので、ストレスが無いはずがない。
なのに、今のがストレス、ストレスと取り上げられる。何かというとストレスが原因だ。
じゃあそのストレスはどうやって取り除くの?どうやって溜まらないようにするの?
となると、その処方は非常に難しい。
自分でできないから多くの人が心療内科に通うことになる。
たしかに政治や経済やいろいろな事件を見ても、「日本は病んでいるな」と思わされることは多くなっているのだが、さりとてだから「自分も病んでしまおう」とは思いたくない。
なんとかその「病んでいる時代」にも適応し、自分だけでも「病んでいないようにしないと」家族に、仲間に、ご迷惑をかけてしまわないかと思うのだが、それはもう無理なことなのだろうか?

そんな私の悩みというか、迷いに一つの光を与えたのが、これらの本でもあった。
「時代が病んでいる」と考えるから病的な思考になってしまうのであり、下り道を歩いている、帰り道を歩いていると考えるなら、それは「不要な作業」ではない。とするものだ。
山頂に上り詰めれば景色もよく達成感もあってさぞかし爽快だろう。
が、いくら爽快であってもそこで一生を過ごすことはまずできないし、一生山頂に居たらそれは多分爽快ではなく、苦痛になるはずだ。
つまり、寂しい下り道は必要な作業なのだ。
また、ここまでポジティブに考えられる状態ではないだろうが、「次なる登山」があるのならば、「下り道」は絶対に必要な手順でもあろう。
旅行の帰り道も同じこと。

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鬱の時代

かいつまんで話せるほど簡単な話ではないのだが、山登りで言うなら「下山道」、旅行で言うなら「帰り道」、今の日本はそういう状態にあるんじゃないかと示唆している。
そして、その国民である我々はそれに応じた身の施し方をした方が「身のためだろう」というお話である。
ともにハウツー本ではないので、「正しい施し方」の紹介ではない。
「そんな時代じゃないの?」といったむしろ教示本かな?

たしかに「登り道」や「行き道」はワクワクもしているし、躁鬱で言うなら躁の状態だ。
目標もあるし、希望も持ちやすいし、だから楽しいことも多い。
反対に「下り道」や「帰り道」には目標がなかなか無い。
しいて言うなら、また今度山に登るために、また今度旅に出られるために、「安全に」戻ることぐらいなものだ。
ともすれば、疲れてしまって静まりかえってしまう寂しさに、声を掛け合わねば虚しい時間が過ぎるばかりかもしれない。
山登りであれば、目標は「一つ」だが、帰路到着地点は周囲360度ある。
「どこに戻っていいのか?わからない?」から皆悩んでしまう。
つまり「鬱」の時代じゃないかというものだ。

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読書

五木寛之の「人間の関係」と姜尚中さんの「悩む力」を読み終えた。
勉強も好きではないし、圧倒的に体育会系の歴史なのだが、不思議と忘れた頃に読書をする。
まだまだマンガの少なかった時代だからかもしれないが、幼少期に読んだ童話の内容ばかりでなく挿絵まで憶えているものもある。
自分の子供に読み聞かせた童話や絵本もほとんど覚えている。

中学校の英語の先生が変わっていて、英語より本の話をよくしてくれた。
その影響もあるのかもしれない。
授業中も教科書ではなく小説のほうに気をとられていた時間はけっこうある。
だからなのか?活字を読むことには全くの抵抗はなく、新聞、雑誌も好きなのだが、読書が好きだと気が付いたのはけっこう最近だ。
気が付いたら忙しい割りにはけっこうな本を買っている。
いつ読めたのかわからないが、働き盛りの人間としては、多く読めているほうじゃないだろうか?

別に数量を競っているわけじゃないが、まあ、それぐらい嫌じゃないということだ。
そんな私が読み終えた二冊は、なんだかポイントに類似点があり、たまたま同時進行で読んだのも「何かのご縁?」それぞれ個人の考えというよりも、時代が変わったことに気が付かされる内容だった。

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ふるさと

となると、私では技量のあるなしに関わらず、到底できない相談だ。
いや、そういう環境を与えてやれる監督は、かなり限定されてくる。
そんな奇特な人が居るのかどうかはわからないが、今はそんな人が登場してくれるといいなぁと感じている。

今の部活動は毎日ある。
雪の日も猛暑の日も、雨の日だってやっているときもある。
平日はおろか土日も関係ない。
だから町の人は皆知っている。
彼女らの声がグランドにあるのが「当たり前」
監督の怒鳴り声がするのが「当たり前」
そこに皆が集まる。
父兄が、OGが、懐かしそうにやってくる人々が・・・
何も用意されているわけじゃない。
でも、きっと居心地の良い場所なのだ。

だから、それが無い日はすごく寂しい。
今回の大会期間中も、わかっていながら、もぬけの殻のグランドが非常に寂しいというお言葉さえいただいた・・・

今の監督がやめてしまえば、そうなってしまうのだろうか?
それは非常に寂しい。つらいぐらいの出来事だが、仕方の無いことなのだろうか?
かといって、私も仕事をなげうってまで跡を継ぐわけにはいかんだろうし・・・・

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どっぷりつかる

毎日練習することは上達するためでもあるのだが、その部活動が生活の中心というか、全てになる期間を作るためにある。
何をさておいても部活動という理屈は話して聞かせるものではなく、習慣で植えつけるのだ。
それに勝るものはない。
家族よりも友人よりも学校生活よりも部活動なのだ。
だからこそものすごくでっかい感動を受けるときがやってくるのだ。

それがわかっている。
だから、土日だけのクラブチームには、できればなって欲しくないのである。
運動神経の良い子を集め、その競技の好きな子を集めれば、土日でも充分に強いチームはできるだろう。
でも、それは、その子たちの「全部」ではない。
やっぱり「週末」の姿なのだ。
普段は違う子なのである。

それも本当は仕方の無いことなのだ。
だからほとんどのチームがクラブチームなのである。
でも、できれば毎日、その部活動に「どっぷりと」つからせてあげたいのだ。
どっぷりだからこそ、味わう大きな感動があると思うからだ。

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現実的に考えてみても

今の私の職業では「コーチ」が精一杯である。
時間的には監督もできないわけではない。
しかし、この厳しい経済環境の今、当然ながら私の人生は仕事に左右されている。
ものすごくされていると言っても過言ではない。
サブプライム問題から原油高から、もう毎日毎日吹き飛ばされそうなところをはいつくばっているような現状なのだ。

もっと言うなら部活動がお手伝いできるほど仕事が無いのであり、逆にこれ以上仕事が無くなってしまえば、違う仕事に就かなきゃならなくなる。
そうなると、こんな高齢である。大会はおろか、毎週の土日休みだって、保障されないのだ。

私とて、今の監督のように仕事の延長で毎日部活動をみられたりするなら、追加の土日が苦痛になるような人間ではなくなった。
しかし、「できることなら」土日のクラブチームではなく、毎日毎日グランドで遊んでいる部活動であって欲しいのだ。
いや、それだから残る物があることを私は見てきたつもりである。

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私でなくてもいい

大雑把に言ってしまえば誰でもいい。
多少性格が悪くてもいい。
毎日毎日陽がが暮れるまで、土曜日も日曜日も朝から晩まで、
この小学校のグランドで頑張っている女の子がずっとずっと見られるなら、誰でもいい、つまりは私でもよければやってあげたいとは思う。

でも、私も48歳を過ぎた。
いや、今現在の監督に比べたら充分に若いが、今や全国大会でお会いするチームのほとんどの監督さんが私より「若い」
私が自分の年齢を気にしてフケこんでいるのではなく、それは子供達にとってものすごく良いことじゃないかと思うのだ。
どうせなら、若返りをはかって未来ある姿になった方がいい機会じゃないかと思うのだ。

ただ、監督に言わせると「こんなことやってくれるようなバカはそうは居らんわ」というのだけれど・・・

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出処進退は自分で決める

私のコーチ業卒業の時期は前から多少は気にかけていた。
いわゆる「出処進退は自分で決める」というやつだ。
おそらく監督が若く、あと何十年もやろうものなら、娘の卒業と同時に私も・・・というのが最適だろう。

が、本当に監督の任期はあとわずからしい・・・2年、いや最後の1年とも言われているくらいだ。
となるとそれは気心のしれた仲間で残りを全うしたいというのもまた人情である。
私が気心しれた仲間かどうかはしらないが、そのためにお声をかけていただいているのならば、期待には応えたい。

監督の任期が少ないことは大体想像のつくことだ。
それは私でなくとも皆わかる。
だからなのか、小さな妹が居たりする親御さんは、「下の子のときはよろしくお願いします」などと言ってくる人もおみえになる。
私は監督希望者でもないし、監督に向いているとも思わないので、困ってしまうのだが、ここまで盛り上がってきたこの部活の将来や、小さな予備軍の未来はやっぱり心配している。

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この3年間

この私は、いや、私の家族全員は、有り得ないほどの幸せをいただいた。
人と比べるものではないが、世界一幸せかもしれないと思うほど充実した時間をたくさんたくさん過ごせた。
変な話「これで死んでも後悔ないぐらいものすごく幸せだな」という感動や思い出をいっぱいいっぱいいただいた。
多くの人と知り合い、多くの人と触れ合い、今までの私の行き方では「有り得なかった体験や感動」をいっぱいさせていただいたので、少しだけ、少しぐらいは、私もまっとうになったような気がする。

つまりは「卒業する時期」が来たようにも思うのだ。
卒業の間際になると多くの人は「したくない」「いつまでもここに居たい」と特に居心地が良ければ良いほど思うだろう。
それぐらい充実していたら、幸せ者だ。
今の私は本当に幸せだったと感じている。
嫌なこともたくさんあったはずなのに、そんなことは全部忘れているし、幸せな場面しか思い出せない。
なので、正直これ以上は欲張りのような気がしている。
それはある意味「卒業の時期」が来たということではないのだろうか?

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器が人を育てる

ある意味ここまで出迎えの多くなる下地は作ってきたという自負はある。
雪の降る校庭で参加するメンバーがものすごく少ない状況でも私一人で指導していた日もあったからだ。

でも、それとて見方を変えるなら、自分の娘は居たからであり、完全にほかっておけなかったというのはあるだろう。
よその子だけだったら「終了」としていなかっただろうか・・・
そんなに高い意識で教育活動していたわけではないだろう・・・
他のお父さんとて、その程度・・・
いや、ことによっちゃあ「それ以上」の意識でできる人はものすごく多いのではないだろうか?

そもそも、器が人を育てるとも言うが、私などまさにそれだ。
「コーチ」などという肩書きがこそばゆくて嫌だったはずなのに、いつしか、しょっちゅうチームのことを考えるようになっていた。
今現在がそうでなくても、任せればそうなる人は少なくないようにも思う。
それが「私しかできない」と思うのであれば、それこそ大きなうぬぼれじゃないだろうか?
そういう点では正直ちょっとうぬぼれていたのだが、あの出迎えの多さを見ると、一生懸命やりそうな人は、案外多そうに思えるのだ。
そういった人たちは、いつまでも過去の栄光を背負った先輩がふんぞりかえっていると、やりにくいのではないだろうか?

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PTA役員だって資格がある

普通現役の子供の在籍しない役員は居ない。
かなり適性があり、自分の子供ではなくとも学校や父兄のことを考えてくれるなら、問題なさそうなのに、そういったPTA役員は居ない。
簡単な話「規約で資格がない」からだろう。
子供の部活動のコーチなど、そんな大それたものではないが、PTAの役員が規約になければできないことにも「意味がある」ようには思える。
やっぱり何年も同じ人が居座ることは「代わり映えしない」ことにもなる。

たまさか「内閣改造」が行われたようだが、首長やリーダーの首をすげかえるというのは、それは「全くの別モノ」になることを意味し、マンネリを防ぐ手段を超えて、いわゆる「政権打倒」を意味する。
スポーツチームで言うなら「別チーム」を作るようなものだというのは日本代表サッカーの監督人事など見てもわかる。
なのでこれが必要な場合はそのチームの存続を「賭ける」場合がほとんどだ。
でも、そこまでしなくとも「水の流れ」をよくすることぐらいは必要なんじゃないだろうか?

例えば奇遇だが、私が参加する前は、このチームとて、市の優勝が精一杯だったのだ。
それが全国大会で準優勝するまでに至ったのに、多少は私の貢献があったと言っていただけるのなら、「他の人」なら優勝させてくれたりするんじゃないの?という発想は、決して謙虚すぎないと思うのだ。

今は半分寝ぼけながらそんなことを思いついたので、ちょっと忘れないよう書き留めてみた。
もうちょっと日中だったり、週末の練習をまた見ると気持ちも変わるかもしれないが、でも、今考えていることは決して暗い進路ではないような気がしている。
いや、実はその監督とて、もう任期が数年も無いことはわかっており、「そこまで」のお付き合いを果たしたいとは思っている。いや、するだろう。
でも、それはPTA役員としてでなくともPTA役員ができるように、何か今までとは違った別の立場でできることもあるのではなかろうか?と学校に出迎える父兄の多さを見て思ったのである。

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塩加減のわかる人

こういった子供の指導は「やってみたい人」は子供に迷惑な場合が多い。
自分の子供時代を思い出してみるとわかる。
まず、「おせっかい」だからだ。
しかも「恩着せがましい」場合が多い。
いわゆる頼んでもいないのに「教えたがり」なのだ。
正直ここのクリアーは難しいと思う。
やる気の無いのも困り者だが、やる気満々のコーチも曲者だからだ。
ちょうどよい塩加減がわかっている人がいい。
が、かといって私が塩加減のわかる男でもない。
なので、まあまあでやっていけないものでもないだろう。
それほど大袈裟な活動でもないのだし・・・
でも、私もそれなりに一生懸命やって盛り上げてきた部活動なので、さらにとは言わないが、やっぱり「良い場所」ではあって欲しいのだ。
「楽しい場所」であって欲しいのだ。
そのために私が必要とあれば、今まで通りお手伝いするのだが、
果たして本当にそうなのだろうか・・・?

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潮時

今回の準優勝でもう十二分の感動をいただいた。
しかも、一家4人総出で協力してきた3年間だったので、本当に有り得ない幸せと充実した時間をたっぷりといただいた。
私自身、いや、私たち一家も「もう十分」なのではなかろうか・・・

いやいや、冷たく離れようとしているわけじゃない。
が、こういった学年ものは「次が控えている」のが当たり前で、いつまでも居座ると無理が生じる場合がある。
一応監督からは有難い言葉をいただいてはいるが、それを真に受けるのもどうなのだろうと思ってもいる。
もともとが「おだてに乗りやすい」性格であり、真意はわかっていないのかもしれない・・・

全国大会の直後には興奮して考えつかなかったが、少し落ち着いて考えてみると、なんだか「潮時」を感じないわけではない。
選手達は功績をねぎらってもらい、ちょっと余分に遊んできたので、私らより遅れて到着した。
その出迎えには大勢の人がみえたのだが、そこにはたくさんの次世代の父も居た。
彼らだって、こんな素晴らしい体験ができるなら、「したい」と思っているのではないだろうか?
当初「面倒臭い」と思っていた私が、本当にやってよかった3年間だと思うぐらいだから、もうそれに気がついている人は「やってみたい」と思っているんじゃないのだろうか?

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控えめにしていらっしゃる

このことについては正直「時期が来たのかな?」と思うことはある。
チームを支えていくことは、たしかに忙しさを超えて大変だが、やっぱり全国大会出場やそこでの勝利は格別だ。
いや、負けることさえ麻薬のように「しびれてしまうこと」も多い。
考えられないぐらいの感動を残す。
自分の娘が居なくとも、それはまた「特別」だろう。

でも、そんな体験を私以外の人がしてみるのは、とても良いことのように思うのだ。
いや、たかがコーチといえどもその適性、その能力と言っていただけるのは有難いのだが、それが自分にあると思うことすらもう「うぬぼれ」は始まっているんじゃないかという気がしてきてもいる。

私の本職が「コーチ」であり、それで飯を食っているのならもう少し図々しく居座るのも「飯のため」になろうが、所詮は「趣味の範囲」だ。
そもそも中には私の教え方が間違っていると感じている人も居るかもしれない。
私はそれなりの自負があるが、ものの見方は千差万別でそういった他人の意見も否定すべきではない。
いや、このような私個人のことよりも、むしろ思うのは、今度の新チームに参加してくるであろう「親」のことを考えると、私の身の施し方にもいろいろあるのではないか?と思うのだ。

私がお手伝いを始めたのは上の娘がチームの最上級生となった時点だ。
それまでも練習や試合を陰ながら見てはいたが、遠慮があった。
そんな心配今はよけいだったことがわかるのだが、当時はやはりあまりにも下級生の親が図々しく出しゃばったりして、まかり間違って娘がレギュラーにでもなろうものなら、落選した上級生に申し訳ないという思いがあったからだ。
そう控えている今度の最上級生の親御さんだっているかもしれない。

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卒業

だから今回の全国大会でも良い思いをさせていただいた。
大会前より強豪チームのコーチとして、十分に丁寧な扱いをしていただいた・・・
なので、優勝なんかしていたら、私自身も「もっと勘違い」していっただろうに・・・そう思う。

そんな夏はちょっと早いが終わろうとしている。
最上級生の参加できる大会はもう一つ残っているが、もう今回のようなモチベーションで戦うことはできないだろう。
それぐらい一生懸命やった。
はじめて私も選手を褒めてやりたいと思った・・・
なので、下の娘も部活動は「卒業」だ。

もちろん、引退にはまだ早く、娘や他の最上級生もお手伝いはするだろう。
が、もう試合での主役にはならない。
それぐらい楽な試合を一度ぐらいは経験させてやりたいと、それこそ親の立場では思うが、いい加減な戦い方は残された後輩たちのためにならない。
実質来週末からは「娘の居ない部活動」がスタートするわけである。

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いい気になる

土曜日曜祝日とその部活動は全部ある。
忙しいを超えて本当に大変だ。
雪の日も、雨の日にやることもあるのだから、暑い、寒いは全く関係ない。
ま、そうじゃなきゃ日本で二番にはなれっこない。

もちろん優勝すれば良かったのだろうが、それは負け惜しみでなく、ある意味二番で良かったんじゃないかと思っている。
甲子園の出場者でも思うが、特にピッチャー等の主役がワンマンのチームが優勝することはまずないが、あまりにも主役が目立ちすぎるチームが日本一になると、その主役のその後の人生は「相当大変」だと思う。
よほどの人間性が構築されていない限り、どうみても「うぬぼれて」しまうだろうし、どうみても自尊心がつき「過ぎる」。
この「過ぎる」をコントロールできる人はなかなか居ないように思うのだ。
自分自身に置き換ええると相当理解できる。
いや、対戦相手等この部活動の関係者とも多く知り合ったが、正直「優勝者」は偉そうである。
きっと謙虚にしている部分もあるのだろうが、その眼の奥底に強烈な自尊心が潜んでいることは非常に多い。
それは自尊心で済まずに「自慢」や「得意顔」になってあらわれている。
それらをおくびにも出さない人は稀なぐらいだ。

いや、正直私にもある。
春の全国大会でも当チームは好成績を収めた。
すると「その後」はやっぱり違う。
私がお手伝いし始めた当初とは、「挨拶のされ方ひとつ」も違う場合があるからだ。
それは気分の悪かろうはずがない。
春に全国大会出場したときと、今回とは、そりゃあ注目のされ方も違った・・・
もちろんわきまえる気持ちはあるし、成績のほとんどは監督や選手の力量と頑張りだとは思う。
でも、それに少し貢献しているのと、顔が売れてくると、やっぱり「自己満足」ぐらいはする・・・

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コーチ業

ときどき記述してきたが、娘の部活動の「コーチ」なんて務めさせていただいている。
監督に声をかけていただいたのと、熱心な部活動の様子に共感して「お手伝い」から始めたものだが、今では正式な「コーチ」として登録されちゃったりている。
そうなったのは、その部活動が強くなり、県大会に出場するようになってコーチにも「登録」が必要になったからだ。

かといって本職ではないのだが、あまりにも無責任ではいけないと、多少、ほんの多少はわからないことを勉強はしてきた。
その甲斐ではなかろうが、3年目のこの夏素晴らしい成績を収めることができた。
運も良かったのだろうが、上の娘のときから手伝いはじめて、市大会優勝、県大会二位、県大会一位、全国大会出場と続き、今回下の娘で全国大会準優勝までこぎつけた。

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